鼠の騙し討ち

太刀打できますん

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 寒い寒い、なんて寒いんだろう。風も強くて冬も本番といったところだ。しかし、どんどん冬の始まりが遅くなっているなぁと感じる。温暖化。
 そして、ここよりさらに寒いロシアでは、会話をするとき天気の話題を出すとマヌケだと思われるから「今日は本当に冷えますねえ」なんて言わないそうだ。僕はもう、今日一日で何回その話題を出したことか。そうして、会話に花を咲かせることもなくお互いダンマリした気まずい時間がやってきてしまう。よくある。話題を思いついて話そうとしても、タイミングを逸してしまい、今これしゃべっても大丈夫だろうか、ちゃんとコミュニケーション取れるだろうかと悩んでいるうちに、「じゃあ」と相成ってしまう。よくある。
 積極的にコミュニケーションを取りたいと、それが例え誰であれ、思っていないからそうなってしまうんだろう。
 それでも昔に比べたらだいぶマシになったと思う。おしゃべり好きな人に捕まったあと、早く解放されたいなあ、という態度を3分くらい我慢できるようになった。なんという進歩。
 会話のやり方を知らないだけなんだろう。この歳になって。気持ちの発散方法もよくわかっていなかったと思う。やっぱり他人に向かって喋るということで自分の区切りをつけるのがいいのだ、と最近ようやく実感として得られるようになってきた。この歳になって。
 鬱屈とした思いも、都合のいいことばかりを並べて自分だけが気持ちよくなる区切りをつけることによって初めて落ち着くのだ。なので、1年と数ヶ月ぶりにブログとか書いてみたが、はたして落ち着いただろうか。あんまりそんなことはないし、もやもやとしたものが頭の中にずうっと残っているようだ。見ている人とかそんないないブログで愚痴ったところでダメなんだろうか。だけれで人に面と向かって感情をぶつけるのは気が引けるし、そのとき出る言葉は僕の感情とは少し食い違ったものだろう。ここに書いてあることだってきっとそういうことだ。そんなことをお腹を空かせて帰り道で考えていた僕と、暖かい豚バラ大根を食べてお腹がいっぱいになって眠くなっている今の僕じゃあ、まったく別人みたいなものである。どうだざまあみろ寒いなか帰っているときの僕。あーご飯おいしかった。
 しかしながらこの満腹感も空腹あればこそ味わえるものであって、そしてまたお腹はすいてしまうのだ。なんてはかない豚バラ大根。
 物語の中でハッピーエンドがあるけれど、つまりエンド以外ハッピーじゃないバットな話が延々と続くわけ、でもないけど、大体が起承転結の山を上っている最中は苦しいものだ。苦しみの先に頂上についた景色はたしかに綺麗かも知れないし、それを予感・または覆す物語の吸引力で最後までお話を見れるのだろうけど、最近は歳のせいか、山登りをしているあいだにぐったりと疲れてなにもかも諦めてしまうようなことが多い。
 それは裏返せば生真面目に物語を読もうとしているからで、さらに自分の心が疲れてしまわないように、物語に対して紗に構えて眺めるようにもなつてしまつた。昔からそういったことがなかったというわけでもないけれど、感動というものから遠のいてる。穏やかで平坦で気持ちが安らぐようなものを口を開けて家畜のように喉に通す。なんというディストピア愛好者ってこれなんか中学生の日記みたいになってきた。まずい。これは恥ずかしい。こういった自分の自分の感情の吐露でさえ人に見られたとしたら笑われているんだと、自分で自分を辱めてしまう。
 よくない。楽しいことを考えよう。何があるだろうか。年末だ。クリスマスだ。プレゼントを買いに行かないと。今や僕だってサンタさんなのだから。

あきねずみ

Author:あきねずみ

セルフ 貴子同盟

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