鼠の騙し討ち

太刀打できますん

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 夕方になってからは、ずっと強い雨が降っていた。ほどほどの残業をして、ヘトヘトになった体で電車に乗り込み地元の駅についた。ホームに立ってから視界の隅に入ったドラッグストアの看板をみて、マスクを買わなくてはいけないことを思い出す。
 インフルエンザが流行っているし、それでなくても周りに風邪の人が多いし、なにより顔が隠せるのがマスクのいいところなので、僕は毎日マスクをつけているのだが、今日付けた分が最後の一枚だったのだ。
 いつも買っているのは、ティッシュペーパーくらいの箱に入った60枚入りの使い捨てのマスクだ。それを買いに駅を出たのだが、雨足は途絶えることはなく、冷たい横殴りの風が吹いていた。箱に入ったマスクを買って外を歩けば、いくら傘をさしているとは言え濡れてしまいそうだ。数枚のビニールに封詰めされたマスクを買って、晴れた日にでもまた買いに来ればいいだろう、と思ったのだが僕の足は一目散に箱に入ったマスクのもとへ向かった。
 思考と意思が同じテーブルにはついていないようで、明らかにそうしたほうがいい、と頭で考えていても身体は別のことをやってしまうことが往々にしてあることにはホトホト困り果てている。面倒なだけか、疲れからの自暴自棄なのかなんなのか。
 ほかの人もよくあるだろうことだとは思う。「多少雨に濡れてもいいから、走って目的地まで行ってしまえ」みたいなもので、しかしその場合、雨に濡れてはいけないものを持って走るということはしないはずだ。
 対人関係にそれが表れてしまうと厄介なことになる。例えば、知っていることを聞かれたのに答えるのが億劫なのか時間がないからか、思わず「知らない」と答えてしまう場合、後から「あいつは嘘つきだ」と謗りを受けてしまう。
 人間というものは自分が楽のできる結果を求めてしまうから、そうしたことが起こってしまうのかなあ。雨のなか濡れてはいけないものを持って歩くのは、今の自分が楽をしたいだけであって、将来の自分が苦しむ結果にしかならないであろうことは明白なのだけれど。なかなかどうして、自分自身というやつは思い通りにはいかないものなのだ。
 そうして箱に入ったマスクを掴んでレジに並んでいると、目の前で会計をしている人も僕とまったく同じマスクを買っていた。この人も僕と同じように雨の中とぼとぼ歩いて外へと向かうのだなと思ったところで、こんな大げさに考える必要ないじゃないかと気がついた。だってちゃんと商品をビニール袋に入れてくれるじゃないか。当たり前の話だ。スーパーとかでは、こちらからビニール袋くださいと言わなければ、そのまま商品をカゴに放り込んで突き返してくる。後になってから「袋ください」と言いに行くと、「5円になります」と嘲りを押し殺したような張り付いた笑顔で、「今時のスーパーは有料なんだよ知らねーの?」とでも言いたげに袋を渡してくる。
 いつだって僕はチマチマしたことを大仰に捉えて、「ああ! なんて僕はかわいそうなんだ!!」劇場を広げてしまう。観客なんて誰ひとりいなくて舞台には僕一人と書割のスーパーの定員。
 会計を済ませてビニール袋の口をぎゅっとつまんでドラッグストアを後にした。駐輪場にいき、原動機付き自転車のキーを挿し、座席の下のボックスにカバンをつめてから気がついた。マスクの箱を入れるスペースが殆どない。今日は雨だ。カバンを背中にかけてバイクを走らせることはできない。
ビニールの袋の口をきつくしめてハンドルにでもかければいい。しょうがなく僕はカバンとマスクをボックスへぎゅうぎゅうに押し込み家に帰った。
 帰ってボックスを開けると、マスクの箱はクシャクシャに潰れてしまっていた。

あきねずみ

Author:あきねずみ

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