鼠の騙し討ち

太刀打できますん

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ちょっと前や最近でも「プレイヤーはエロゲの主人公ではない」という、十年ほど前に語りつくされたことを目にするようになってきて、やっぱりユーザー層が入れ替わると話題はループするものだなぁと、自分が歳をとったことを実感させられるものです。あと、下倉バイオの新作のネタバレを喰らったり。

「プレイヤーはエロゲの主人公ではない」のなら、選択肢の存在意義とはなんぞや、とか。懐かしい。

その辺のことを考えていくとなると、やっぱり外せない作品というのが「水月」になるのかなあと。

以下ネタバレ

まずタイトルになっている水月とは、水面に写った月であり実体のない幻のこと。主人公が毎夜夢に見る世界や、ヒロインと過ごす時間のことでもあり、主人公自体が記憶喪失であり過去がなく生きてきた実感というものを大きく削いでいる。(それこそがプレイヤーと同一視点を持てることでもあったり。)
当然、実体のない幻というのが二次元やエロゲを指し、もとより創作全般に言えることでもあって、本当によく考えられたデザインだなあと思う。

特に好きなのが雪さんルート。バッドエンドでの、窓枠から見えていた風船が飛んでいき見えなくなることを、主人公が雪さんを選ばなかったことに例えるのは直接的というか端的で実にわかりやすくて頭に優しい。
ハッピーエンドでは、当然プレイヤーが雪さんを追いかける選択肢を続けるわけで、その果てに幻のマヨヒガでしか再開できないというのも彼女の儚さを訴えるもので、それでいて彼女の存在を決定づけるのがプレイヤーの意志によるところが大きく、まさしく雪さんは俺の嫁。とかなんとか

他にも、初めから鏡像を持った双子や、幻に対峙できる巫女や、幻を暴くメガネとか、人間にとって情報の大半を占める視覚を失ったヒロインなど、現実と幻について様々なアプローチがまとめあげられている・・・と言ってもぼんやりとしか覚えていない。
最終的に主人公はあるがままを受け入れ、今ある幻のような現実を生きていくという。聞いたままを編纂した遠野物語にも通じていくのかなあとか。

それでまあ「プレイヤーはエロゲの主人公ではない」ということだけど、割とどうでもいい。
本人がそう思いたいならそうだし、違うっていうんだったら違うんでしょう。
ただ、エロゲはアニメや小説と違い、自分でゲームを体感、体験する要素が強く、一概にプレイヤー=主人公を否定するのも抵抗がある。
まあ楽しみ方とか人それぞれですしー。

あとはまあ、「Remember11」や「まり∞くり」でもやってればいんじゃねーみたいな。

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あきねずみ

Author:あきねずみ

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