鼠の騙し討ち

太刀打できますん

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私は「終ノ空」未プレイですし、「ウィトゲンシュタインの哲学を分かりやすく解説」という本を百ページで投げた人間です。それでも、語り得るものは語ってみようかなぁなどと大それたことを思い「素晴らしき日々 ~不連続存在~」の感想をしたためた次第。
例の如くネタバレ注意です。

「終ノ空Ⅱ」で語られたウィトゲンシュタインによる他我問題、他人の痛みを知るとはどういうことか。我々は他人の痛みを知ること感じることは出来ず、想像するだけに留まるという。
7月20日までの連続したキャラクター達の視点を複数見せるが、本当に彼らの痛みを私たちは知ることが出来るだろうか。確かに彼らが悲しい、楽しい、と感じた事に、私たちは私たちの悲しいや楽しいを当てはめただけではないか。
PTSD、もしくは魂の憑依としてあやふやな状態のまま(不連続)存在していた彼らに対して、思考が存在証明にはならない(それは自分が作り出した別人格かもしれない)と作中でも語られているが、それは他の人間に対しても同じことが言える。他人が見ている赤色と、私が見ている赤色が必ずしも同じとは言い切れないから。
それらを不可解だとしても、単に存在するものとして許容しなくてはならない。

ではなぜ、この作品における複数視点での知るはずの無い情報の共有や、なぜ他人を理解できるのかという問いがある。それに対する仮説に「魂の無限の輪廻転生」が提示された。
魂は一つしか存在せず、輪廻を繰り返して他人へと成り、一つの魂が世界を作り上げているというもの。
あたかも7月20日を繰り返し体験したプレイヤーの事を指しているように見えるがしかし、それはあくまで作品内に留まり、輪廻をしているのはゲームプレイヤーではなく音無彩名でしかない。先ほども言ったように、我々は他人の痛みを知ること感じることが出来ない。
ここに、キャラクターの主観(と物語)とプレイヤーの主体に大きな隔たりが生まれているように思える。複数視点による物語の展開において、主観的に見ることを拒絶され、さらに物語り内部の魂を一手に担っている音無彩名という存在に、客観視からも一歩遠ざけられる。
そうした、物語り全体=音無彩名とプレイヤーを総体的に相対させる(言いたかっただけです)のは、もちろん拒絶などではなく、面と向かってこの作品のテーマをぶつけたかったからのように思う。また、遊園地のアトラクションとして登場した終ノ空も、ゲームを眺めるプレイヤーの事を指している。

個人的な感情として、このような、物語が直接プレイヤーを殴りつけてくるのは上手な手法ではないかなと。テーマというのは作品の下地にあり、終えたときにすんなりと理解できるようなものが美しく、そうでなければ首から主張を書いたプラカードを下げていればいい。つまりこの「素晴らしき日々」はプラカードを下げつつガンガンどつき回して来るので破壊力が高い。
閑話休題。

この作品のテーマは、オフィシャルアートワークですかじ自身が語ったように「幸福に生きよ!」の一言に尽きると思う。
それは、神様が生きているもの全てに囁き続けているものだそうで。理不尽で、不可解だとしても、「幸福に生きよ!」という言葉が付いて回り、そして我々はそれを知っているはずだと。


私たちの頭は、海や空や神様と同じくらい広く、スポンジが水を吸うように様々なものを許容することが出来る。

「私の意識だけが唯一ほんとうに存在するもので、他の一切は私の意識のあらわれである」

他人の痛みを知ることが出来ず、世界に意味などなく、それらを不可解だとしても、単に存在するものとして、"私"に回収しなくてはならない。
昔の誰かが作曲した曲を演奏された時、その人物の思惑など関係なく音楽は響き、ただそこに存在するものとして"私"の世界へと回収される。
また、坂道を登りきっても同じような風景が続いているように、世界に限界や外側など存在しないと主張する。
何かを回収するごとに"私"の世界は拡張され続け、全てが"私"の中にあり、一旦切り離された私と音無彩名も、相対することにより"私"の意識のあらわれでしかないことを知らされる。
そして、悠木皆守は、世界は器にしか過ぎないという。様々なものを回収し、拡張され続けた世界は器でしかなく、そこには根源として「幸福に生きよ!」という言葉がある。
そこで、世界を「幸福に生きよ!」に置き換えると、“「幸福に生きよ!」という言葉は器にしか過ぎず、それを何で満たすのか”、悠木皆守はそう問いかけている。
問いかけで終わるからこそ、音無彩名は仮説という言葉を使い明言を避け、プレイヤーに主体として何を視たいかと、気に入った答えを「幸福に生きよ!」とだけ指針を与え(「終ノ空Ⅱ」や再プレイ時に)選ばせる。
そこにあるのは、単なる言葉と旋律のみで、それを不可思議だとしても、私はそれを許容しなくてはならないのかもしれない。

コメント

今プレイ中ですが、内容がいまひとつ掴めない……哲学? 文学? おおお………

なんだかよくわからんが、とにかく良し! ですよたぶん。

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