鼠の騙し討ち

太刀打できますん

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 彼女は日向の邪魔をした。理由はどうあれ、障害は取り除くべきだ。星名を助ける。その目的のためには、他の全てを捨て去らなくてはならない。今まで保ってきた生活も、これから先歩む未来も。持てるもの全てを換金しなければ、黄金には辿り着けないだろう。
「どうしてなの? 日向」
 倒れている藤原と、立ちすくむ日向に視線を交互に寄越す。そういえば、いつも笑顔を振りまいている巳荻を最近見なくなったなと日向は感じた。
「ほのかを、助けなきゃ……」
 自分が犯した事だとは信じがたかったが、結果を見ると妙に納得がいく。これは、ごく自然な解答だと。
 何かに拒絶されるような雑音と鈍い頭痛が日向を襲ったように思ったが、薬により麻痺した心に届くことは無かった。以前、これと同様の雑音を聞いた気がしたが、それはいつだったか。
 ドクドクと、耳の裏を鼓動が脈打っている。乾燥した冬のように肌が耐えがたい痒みを訴え、包帯の下を暴れまわっていた。痛みは何も感じないはずなのに、それがどこかおかしい。
「いかないでよ、おねがい」
「うるさい……。巳荻もか」
 ゆったりと頬を撫でる風があまりに気持ちよくて、だから日向は剣を取り出した。
 視界が揺れるのは薬の所為ではなく、奔っているため。枷の外れた身体は彼我の距離を瞬時に食い潰す。剣先は巳荻の首筋を捕らえ、抜く手も見せず現れた刀に阻まれた。獲物ごと巳荻の身体を弾き飛ばす。
「こんな所で暴れたって、何も変えられないわよ」
「じゃあ、どうしろってんだ。見殺しにするのか」
「私達の力じゃ、何も出来ないよ。アンタが必死なのは分かる。私だって、ほのかがいなくなるのは嫌だよ。でも、別のやり方だってあるはずでしょ」
 悠長なことなど言っていられる場面ではない。別の方法とは何だ。あるなら言って見せろと日向は思う。いつだってそうだ。説教と後悔は手を繋いでやってきて、終わったことにケチを付ける。
 この決意はもう済んだことだ。決まったから決意だ。今になってから何を言われようと、どうして決める前に言ってくれなかったのかと、都合の良い考えばかりが浮かぶ。
 だが、間違った答えにイエスを返せはしない。
 自分にこのような力があったのかというほど、剣の柄を強く握り締める。これが自分の出した結果だと示すように、巳荻へ奔りかかった。
 暴風にも似た衝動を押さえ込み、冷静に剣を振るう。習慣付けられた身体は変調を来たそうと、その動作を守る事をやめなかった。
 全戦全敗。模擬訓練のこれまでの結果を、ここで覆さなくてはならない。互いの手の内は知り尽くしているがそれでも尚、彼女には今まで届かった。いつからだろうか。彼女に勝つ事を諦めたのは。負けるごとに切歯扼腕し、太刀筋を研究し、戦術を練る日々は終わりを迎え、己を鍛えることをやめた。それは、言い訳の材料が揃ったからだ。
 妥協点が唯一の救いであるかのように、ちっぽけなプライドを守るため「いつか勝ってみせる」と形だけを整えた。
 もうそんなものを卑しく守る必要は無い。今、全てを振り払おう。
 正眼に構える巳荻へ袈裟に剣を立てる。刀に受け止められるが力任せに押し込んだ。いくら刀の硬度が高かろうが、巳荻の兵装は打ち刀を模したもの。日向の巨大で無骨な剣の方が威力で勝る。三歩ほど押したところで剣を引き、放つ突き。
 巳荻は日向の視界が利かない右へ回る。予測できていたことなので既に追撃の動きには入っている。横薙ぎ、こちらも読まれていたのか、既に据えられた刀に阻まれた。
 さらに右へ肉薄する巳荻を懐へ入れすぎないよう剣を奔らせる。攻めの手を休めない日向はしかし、間合いを取りに来ている巳荻に半歩遅れる。視界の利かない右を抑えられるが、こちらも位置取りを優先すると相手の反撃を許す。
 巳荻百花と相対したとき、守りに入ることほど劣勢な状況は無い。
 視界を感覚や読みだけで補い戦い続ける事は困難だ。策としては、自身の身体を反転させ相手を迎え入れる形を取りたい。しかし、機を狙っている者に対し背中を見せる愚行は犯せない。
 グラウンドに落ちた桜の花弁が舞い上がり、誰も立ち入る事を許さない壁として揺れているようだった。まるで、自分の尾を追い駆けまわる犬のように二人、ステップを踏む。
 互いに、相手の予備動作から何をしてくるのかが見えてしまう。模擬戦闘と同様のルーチンというを踏む二人は、ただダンスをしている以外の何物でもなく滑稽だ。
「どうせあれだろ、まだ、ほのかは生きてるっていうのに、仕方が無いって済ませる気なんだろ。自分の無能さを、言い訳がましく取り繕ってんじゃねえよ」
 巳荻の動きが一瞬鈍る。動揺なのか、好機を逃さず押し込むべきか、または誘いか。消極的判断だが右後方へ摺り足で移動し、巳荻の行く先へ、左目の範囲へ出る。
 仕切りなおし袈裟斬りへ。巳荻が刀で防ぐ、いや、日向の剣に対し、同方向の下からぶつける様に刀を振るっていた。鋼が重なり合う音が響き、次いで刃が剣を透過した。剣の殺傷力を激減した刀は巳荻の固有能力である刀身の物質透過によって上部へ抜け、振りかぶる姿勢を取った。
 勢いを殺されたが、腕の力でのみ振りぬいた剣を巳荻の頭へ。刀が楕円を描き、日向の首へ。巳荻は剣を潜り、日向は刀から顔を引き回避。
 喉仏から吹き上がる鮮血と、滑らかな黒髪が数本、宙を踊る。
「ようやくやる気になったか、馬鹿女が!」
「……私にも勝てないような奴が、調子に乗らないでよね」
「それが、お前の思ってる、もっともらしい理由かよ。だから言い訳だって言ってんだ。強い奴が正義ってか。そんなもんに唯々諾々と従うだけかよお前は。ちょっとは自分の頭を使ってみろよ!」
 先ほどまで抗戦に徹していた巳荻が一転、果敢に飛び出してきた。
 彼女の攻撃に対し、防御や捌くという選択肢は取れない。リーチの長さを活かして、こちらに飛び込ませず攻めるという典型的な戦法を取る。だが、こちらは城之崎の戦斧ほどの丈は無く、日向の剣と巳荻の刀の差は十五センチほどだ。
 その僅かな差を保ち、一撃離脱を繰り返す。
 凌げてはいるが決定打への道筋は遠い。逆に日向の離脱方向を誘導し、校庭の壁へと攻め立てる巳荻。逃げ場を失えば、そこで終わってしまうだろう。
「だからアンタを止めに来たんでしょうが! この場で、アンタは私に従っておけばいいのよ!」
「隊長様は力が無きゃデカイ口叩けないってのかよ。自分より強い奴に尻尾振るような女狐なんかに信用はねえぞ」
「じゃあアンタの言う私より強い奴って何よ? 城之崎? 征軍の第一線? 違う。社会のシステムでしょ。そんなもの敵に回すだけ無駄よ。小石が跳ねたって流れなんか変えられない。私たちは私たちに出来る範囲で、望むものを取りにいかなきゃいけないのよ」
「そんな安っぽい一般論は中年にでも食わせとけ。そんなもんで諦められるかよ。俺は俺のやりたいようにやる。誰かが動かないと、何かを成そうとしないと、小石を持つことすら叶わないんだ。流れを変えることなんかに興味ねえ。突き立てて、食い込ませて、踏ん張ってやろうじゃねえか。漂流なんかしてたまるか」
 防御も捌く事も無効、ならば―――。
 巳荻が右手一本で刀を持つ。猪突猛進の突きが迫り、日向は右前方へ踏み込んだ。左手で柄の先端を持ち、腕一本の平突きでカウンターを繰り出す。
「討てッ!」
 思い出せ、今までの模擬訓練を。同じような場面。道を切り開こうとした日向のカウンターを読んでいた巳荻がした事を。
 平突きを日向の左へ逃れた巳荻は、そのまま日向の背を切ればいい。だが、概念投与された剣の勢いは、最小限度の回避を許さない。討つと言う概念の極小拡散にあてられ、反撃には不十分なほど巳荻の身体は外へ流れている。
 だが、これしきで足踏みをする相手ではない。背を向け回転した巳荻は、横薙ぎを打つ。
 日向の伸びきった身体が戻るよりも、巳荻の方が早い。身体を沈ませ、回避を優先。そして、刀をやり過ごした日向の顔を、右足の蹴りが狙う。そこを、剣で切り上げ、しかし日向の手が方向を変えた巳荻の足によって押さえられ、踏み台にされ、左足の蹴りが日向の顔面へ。
 それを、右手で捕まえた。
 すぐさま巳荻を押し倒し、無力化を計る。しかし、巳荻の右足を捕まえた手に、影が落ちた。本能的に危険を悟り、手を離し後退。通過したはずの刀が振り下ろされていた。
 右手で薙いだ刀を後ろに回し、左手に持ち替え斬撃を加えたのだろう。
 深く裂かれた腕から、血が滴り落ちる。やはり今までの戦い方では、彼女の上を行くことは出来ない。
「そんな独りよがりで何が手に入るか言ってみなさいよ。その場凌ぎにしかならないじゃない。結局は流れを阻害するものとして、いつか排除されるに決まってる。何も手に入らないわよ」
「グダグダうるせえんだよ。最初に言ったろ。ほのかを助けるって。それ以外なんているか。誰が来ようが、何が襲って来ようが、ほのかを奪って高飛びキメてやんだよ」
 何も出来ないと諦めてしまった。怖くて逃げ出してした日向に、あのバス停で星名は優しく手を差し伸べてくれた。今度は自分が星名を救ってみせる番だ。
「足も動かしてねぇくせに、手が届かないなんて決め付けてんじゃねえぞ」
「動かせるような足場なんて、所詮決められたものしか無いわよ。そんな所からじゃ、絶対に届かないって分かるでしょ? アンタ今まで立派にやってきたじゃん。それを、何で壊そうとすんのよッ!」
 投げ捨てた携帯電話が頭を過ぎる。彼女のために、彼女が守ってくれたものを断たなくてはならない現実が許せない。だが、選び取れるものが一つしかないのなら、もう迷う必要は無い。
「何度も言わせんな。俺は、ほのかを助けるんだ」
「だから無理なのよ、そんなこと。残念だけど、諦めるしかない。どうしようもないの。時間が経って、思い出に変わるまで苦しいかもしれないけど、私たちはそれでも生きていかなきゃいけないの。今ならまだ戻れる。引きなさい」
「そんなこと言ってても、守れるのは自分だけだ。そんなに自分が可愛いかよ、お前は」
 諦観した生き方で何か得るものがあったか。学校での劣等感や家族からの逃避を誤魔化し、保護出来たのは狭量な自尊心のみだ。
「アンタみたいに思い通りにならないからって駄々をこねてもしょうがないじゃん。周りに適合して、人の和を守っていかないと。折り合いは、どこかで付けなきゃいけないの。
 大事な人がいなくなる。欲しいものに手が届かない。こんな世界じゃ、ありふれている事じゃない。確かに大事なものを失うのは可哀想だと思うけど、そこで喚いたってどうしようもないじゃない。割り切って、今生きている人のために生きて。
 そもそも私たちは異能者。泣き言なんて吐き出す暇は、他の誰より無いのよ。クリーチャーを殺すために生きて、少しでも一般人を守って自分達の立場を良くしていかなきゃ駄目なの。戦場の奴隷? 大いに結構。それで今ここにいる事を許されるなら、いくらだって戦ってやるわよ」
 どこかの誰かのために戦えるほど、日向は英雄ではなかった。それでも、救いが無いと言うほど世の中は残酷でもない。
「お前は、ほのかを一切見ていないからそんなことが言えるんだ」
「そうかもね。自分でも酷い奴だって自覚あるわよ。けどアンタだって、ヒーロー気取りが好きなだけなんでしょ? そうやって、社会という困難に立ち向かう俺カッコいい? 惚れた女を救ってみせる? 目を覚ましながら呟く寝言ほど気味の悪いものはないわね。自己陶酔なら、なおのこと醜い。ほのかのことしか見ていないようで、アンタは結局ほのかに依存して責任を放棄しているに過ぎない。お互い酷い有様だけど、より迷惑なのはどっちッ!」
 どちらにも成り切れなかった、中途半端な昔に言ってやろう。
「お前だよ。周りに脅えて、ただ迎合して付き従うことに開き直っておためごかしで装飾して、それが正義だって主張する。共有する事、共感する数を増やせば増やすだけいいっていう詐欺紛いの暴論に乗っかって人の想い食い潰す。下手打った奴を上手い奴が否定して、同意を獲得し続けることにしか比重を置かない。大多数の意見に縋らないと、息も出来ない奴が得意げにまくし立てる。
 誤解されるのが嫌なんだろ。自分は一人じゃないって。みんなと同じだって。
 挑戦するのが怖いんだろ。安全な場所から全て行って、失敗したくないんだろ。負のレッテルを貼られる事を異常に気にして、もし踏み外しそうになったとしても、もっともらしい理由を拵えて元の位置に戻ろうとする」
 もう、そんな下らない理由で燻ぶる必要は無い。心の赴くまま剣を取れることに、今はただ打ち震える。
「癌以外のなんだって言うんだ、お前らは。馴れ合いの場で見栄を張れるだけ張って、自分を高い場所に置く。望むものに手を伸ばそうとする他人の足を引っ張りまわす。少数の異端なものを蔑んで、矮小な虚栄心を満たすだけだ。そんなもんに意義を仮託しなきゃ刀も振るえない奴が、俺をダシに偉そうなこと言ってんじゃねえッ!」
 安心して他人を馬鹿に出来る場所になど、欠片ほどの価値も無い。
 彼女のために、彼女の所為に。過程はどちらでも構わないし、どちらでもあるのだろう。ただ、結果は一つしか求められない。だからこそ、息も出来ないこの世界に抗おう。
「俺がほのかに依存しているって、確かにそうかもしれない。自己満足なのかも知れないけどな、それで、ほのかが救えるんだったら、なんにだってなってやる。どんなに上手く負かされたって、どれほどの圧力がかかったって、想いだけは変わんねえんだよ」
「そんな矛盾だらけの精神論で、何が出来るのか言って見なさいよ」
「だったら、お前は何が出来るんだ。あのバケモノから仲間と子供を守れなかったのは俺たちだろうが」
「それでアンタが選んだ道がこれなの……!?」巳荻が倒れ伏している藤原を見た。「人を馬鹿にするのも、いい加減にしろッ!!」
「ハッ。お前らも同じことやってんじゃねえか。弱い奴を犠牲にして自分達を生かしてんだろ。それが喰われる番になったからって、何か不思議がることでもあるのか」
 想いを一つ重ねるたび、言葉を一つ繋ぐたび、自分を否定するように身体を貫く痛みが走る。薬が切れかかっているのだろうか、別れ際にベラドンナからもらった浅黄色の薬をポケットから取り出した。
「その最低な思いあがりに、私が幕を引いてあげる」
「喘いでるくせに、高いところからモノ言ってんじゃねえ」
 カプセルを二錠、口の中に放り込み飲み下した。ドロリと食道をなぞる不快感と途端に失われる手足と痛みの感覚。残ったものは、白く可憐な少女の姿と、焼き尽くさんばかりの怒り。
「アンタだけは」
「お前だけは」
 強く、強く、ただ強く、研ぎ澄ませた。
「「絶対に許せないッ!!」」
 ―――先手必勝。
 野に解き放たれた獣のように疾駆する。今、どのように走っているのかも分からない。手を使っているような気もするし、一足で近づいているような気もする。
 蠢き色彩も定かではない世界の中、目的だけは明瞭に。超えられないと信じていた壁に挑む。空の見えない囲いなど無用の長物でしかない。唾棄すべき事実を許容する愚鈍さは即刻排除されるべき事柄。
 これまでの力で届かないならば、より強大に、あくなき魂で破壊を試みる。
 豪速で振り下ろす剣。余計な事など一切排除した一撃は確かに力強いが単純で、容易く太刀筋を読まれ回避され、懐へ掻い潜られた。対して放たれるは洗礼された一撃。巳荻の負傷を鑑みれば威力の減退は止む無いが、損傷の度合いを見れば日向も同等。振り下ろした剣の勢いに飲まれ、襲い掛かる刀に体ごと吸い込まれていく。これまでなら、ここで勝負ありだ。
「があああ!」
 体中のバネを強引に駆動し、後方へ跳躍。刀の軌道から身を避けるのではなく、攻撃範囲からのシンプルな離脱。薄皮一枚と引き換えに、出鱈目な回避方法を実現。
「嘘―――」
「―――ヒッ、はあぁッ!」
 羽のように軽い身体で襲撃を続行。ぐにゃりと潰れる景色の向こうへ、力任せに剣を振るう。
「ぐぅッ、つぅ」
 先程よりも速度の乗った一撃に巳荻が堪らず防御を取る。小刻みに震え、競り合う刀を下方へ押し込んだ。途端に横へと滑り、剣の勢いを殺す刀。反撃を跳躍で回避。巳荻の頭上を前転の要領で飛び、頭部に放つ斬撃。仰ぎ見た巳荻に刀で弾かれるが、腕の力のみで再度攻撃。空中という絶対的不利な状況においても、勢いを止めることなく標的を狙う。
 巳荻は体勢を下げ、上空からの猛攻を避けながら防ぎ反撃を行う。そこに後退は無いが、完全な攻勢に出させる真似は阻止。重力に引かれ、落下を続けながら都合四度の攻防が終わり、巳荻に背を向け着地。
「ハッハッハ」
 腕をダランと垂らし、膝を曲げ肩で息をついた。
 前転の要領で飛んだのだから、背を向け落下している隙や着地を狙われるものかと思ったが、巳荻からのアプローチは無い。攻撃があったとしても、今なら防ぐどころか相手に致命傷を負わすことすら可能だという自信はあるが。
「その力、さっきの薬の効果なの? ……一体、どこまで人を虚仮にすれば気が済むのよ、アンタは」
「ヒッ……ハッハ」
「本当に、見損なったわよ!! 日向ァッ!」
「見限ってんのは俺の方だぜ、巳荻ィッ!」
 振り返った先、燃えるような瞳の巳荻が走り出した。
 繰り返される攻防の明暗は分かれた。巳荻の斬撃は小回りを生かし、日向よりも先に行動を起こしている。しかし、大振りで太刀筋も出鱈目な日向の剣は巳荻の行動を視認してからでも喰らい付いている。
 暗い箱の中に押し込められていた者は開放を得、何者の束縛も受けず縦横無尽に戦場を駆ける。
 迎撃準備。
 異能で編み上げられた管を剣に接続。押し潰され、腕の底で暴れだす『力場』を鋼の牢に結合。交じり合う兵装と『力場』は唯一つの想いを形象化。
 概念顕現、討伐。
 外せ、箍を。千切れ、枷を。この一刀は必ず届くという自己暗示で、完璧な軌跡を描け。
 巳荻よりも早く、渾身の一刀を振りかざそう。彼女が避けられない、受けるしかないと言う速度で。
 届け。

"つらかったんだね……もう大丈夫だよ"

 薄暗い帰り道、雪あかりに包まれ、箱の中でしか生きられない少年は終わりを迎えたのだから。
「はあああ!」
 巳荻の咆哮と共に振り下ろされる刀へ、収斂した概念を叩き込む。
「討ち破れえぇッッ!」
 速度、威力、共に従来を上回る反撃の剣。現状の巳荻では回避不可。そして渾身の一撃は刀に阻まれるだろう。だが、概念投与の前に防御の意味は失われる。人間、それも負傷している者など、受けさせることさえ出来れば必勝。
 今まで日向を阻んでいたもの全てを、ここで終わらせる。
 剣が巳荻の体へ迫り、振るわれた刀ごと薙ぎ払う。
 だが、刀の勢いが止む事は無かった。
 物質透過。
 驚愕に目を開く。迫り来る刀が日向の身体を裂いた。
 意識が一瞬途切れ瞬きをしたときには、日向はグラウンドに倒れこんでいた。
「ぐ……ッ。アァッ!」
 袈裟に斬られた身体から、止めど無く血が流れる。
 相打ちを狙われることは無いと決め付けていた。だが、巳荻を倒せないと言う自体だけは避けた。巳荻の刀が日向に届く直前、剣が彼女の体に吸い込まれた手応えがあったからだ。
 もう、彼女に戦闘能力は無い。討つと言う概念が彼女を殺している場合もあるが、そうでなくても立ち上がることすら困難だろう。後は、星名のところへ向かうだけ。
 異核兵装の剣も、ダメージの蓄積からか手元から消失していた。『力場』がまだ展開されていたのだけは僥倖だ。
 地面に付いた手に力を込めるが、立ち上がることが出来ないほど流した血の量が多い。体中の力という力が、そこから流れ出す様が知覚できる。強化された体ならば、まだ完全に停止するほどではないはずだ。しかし、日向はその場から膝行るようにしか動けなかった。
 巳荻に斬られたと同時に頭痛も戻ってきていた。傷が熱を持って襲っているのか分からないが、今はただ締め付ける痛みに顔を顰める。
 星名の目の前まで来ているのだ。ここで寝ている暇などは無い。巳荻は退けたが、他に戦闘クラスの人間がいる可能性も高い。この先にも障害が積み重なっているのかと思うと疲労がこみ上げてきたが、手段はまだ残されている。蹲ったままポケットの中を探ると十錠の薬があった。これさえあれば、身体を誤魔化すことも出来るだろう。
 ポケットから手を取り出し、そこに乗る浅黄色のカプセルを見つめた。巳荻をも上回る力を出させたこの麻薬。どんな効果か、または火事場の馬鹿力か。いずれにせよ、今はこれに頼るほか無いだろう。しかし、いつかというほど遠い未来ではなく、この薬を身体から除去する方策を考えなければならない。元々毒性に対する抗体を兼ね備えた代物だ。取引に使用するワクチンなど最初から存在しないのかもしれないが。
「毒を喰らわば、死んで来いってか」
 自嘲気味に嗤い、口を開けた。
「ねえ、この私を、安く、見積もり過ぎじゃない?」
「え……」
 見上げると、日向と同様に身体から夥しい血を流している巳荻百花が、幽鬼のように立ち塞がっていた。
「どうせ、こんな、事だろうと、思ったわよ。アンタが切った啖呵なんて、所詮こんなもの」
 咳き込み、ふらつく身体を無理やり足で支えた巳荻は、しかし倒れることもなく日向を射抜いている。
 倒したと思っていた。概念に犯された彼女が、立てるはずは無いと。それで無くとも切り裂かれた体で、日向のような手段も無く、異核兵装の実体を保ったまま歩けるとは想像だにしなかった。
「相打ちのことすら、考えてなかったように見えたわよ、今の。殺すつもりも無かったんでしょ?」
 彼女に捉えられた瞳を逸らすことが出来ない。覚悟の違いが如実に現れ、己の劣弱さが露呈する。巳荻が一歩近づき、逃げるように日向が地を這った。
「あぁ……っ!」
「どこまで甘えてんの。大体、世の中ナメ過ぎなのよ。アンタ如きに倒されるわけにはいかない。倒れるわけには、いかない」
 また一歩距離が近づき、巳荻が口から血を吐いた。引きずる呻き声を出し、彼女から逃走するが、一向に進むことが出来ない。
「都合よく現れたクリーチャー。アンタが突然取り出したクスリ。普通のドーピングなら『力場』が中和するもんね。大方、どっかの気狂いベラドンナが糸引いてんでしょ? そこで唆されて馬鹿正直にやってきて、偉そうなこと言ってんじゃないわよ。誰かの力を借りなきゃ立ち上がることすら出来ない奴が、何か出来ると思ってんの? そんなんで、さっきの大口叩いていたんだとしたら随分チンケな決意だことね。恥を知りなさい、日向」
 とうとう巳荻に追いつかれ、見上げる先には明確な殺意があった。
「私はアンタみたいに甘くない。ほのかのためとはいえ、仲間を裏切ったアンタを許さない」
 彼女の影が覆いかぶさり、振り上げられた刀に恐怖する。無理やり後ろへ走り出そうとし、縺れた足に体がグラウンドを打つ。手にしたカプセルが散らばり、しかし手を伸ばす事も出来なかった。
 そして振り下ろされた刀が、突如飛来した銃弾の爆発に包まれた。
「くっぁッ!」
 巳荻が吹き飛ばされ地面に倒れる。弾丸が来た方角を見ると、岸峰虎太郎が校庭へ走りこんでいた。
「加勢に来た、と言いたいところなんだが、やっかいな連中まで呼び込んでしまってな。早くしろ、時間が無いぞ」
 岸峰を追う形で、征軍が三人やってきていた。すぐさま彼らの戦闘が始まり、岸峰の能力である弾丸の小規模爆破の破砕音が響く。征軍は全て近接武装に見える。岸峰は距離を取り、包囲されないよう細心の注意を払いつつ校庭を駆け抜けていた。
 グラウンドに散らばった薬を見た。腕を動かし、にじり寄る。
 流れていく血液。失われる体温。襲い掛かる頭痛と、叫び声を上げる巳荻。
「日向ぁっ……!」
 倒れたままの彼女が呼ぶ。
「それでいいの……!?」
 まだ、彼女は立ち上がろうとしていた。
「本当に……本当に行くの!? ねぇッ!」
 頭に、鋭い針が刺さる。
「そんな中途半端……救われる身にもなってみろぉッ!」
「あ、ああ……ひっ、ぅう。お、俺、は……俺は……」

"大変だと思うけど、大丈夫。だって、日向くん、守ってあげられるじゃない"

「まもるんだあ゛あ゛あ゛ぁぁぁっ!!」
 意識が飛ぶかと思うほどの雑音が頭を飽和し、そして口を開ける。
 首を伸ばし、落ちた薬を砂利ごと飲み込んだ。
「ンッ、がァッ!」
 一粒、二粒、三粒……四、五、六、七。
 砂の上に付けられていく歯型。食道を通るドロリとした不快感。再び波打つ景色。力が溢れ、制御の利かない手足。脳からの強制的な命令で腕を立て、地面から身体を離し、砂利の混じった唾液が零れた。
 誰かの叫び声。呼び止めようとする意思。銃声。剣戟。
 乱れる四肢を暴力的に駆動させ、少年はそこから走り出した。


■    ■    ■


 薄暗い階段を、壁を突き飛ばすように駆け下り独房を目指す。荒く吐いた息と共に漏れる自身の声が、遠く聞こえる。
 流れる血と全身を打つ鼓動に、溶けるほどの興奮がある。どうやってここまで来たのかが分からない。渦を巻き、腐食と再生を繰り返す景色が目の前を覆い隠す。どうやって先に進めばいいのか分からない。
 頬を掻き毟り掌を見ると、自分のモノとは違う血が顔に張り付くように広がっている。ここに来るまでに、誰かを傷つけたのだろうか。その朱色が唐突に脈打ち、染めた部分を縛り付けるように食い込んだ。
「うがあああぁぁぁッッッ!!」
 掌と顔を壁に打ち付け、幻覚を振り解く。壁に顔をめり込ませたまま、呼吸を整えると少しだけだが冷静になってきた。失われた右目が燃えるように痛む。それとは別に、雑音を伴った頭痛も戻ってきていた。
 独房に近づくに連れ、彼女に近づくに従い、雑音は大きくなっていく。静寂とした独房を一部屋づつ見て回る余力は無いが、この痛みの発信源に彼女がいるのだという思いがある。
 乱れた歩調と、吹き出る血潮が廊下を打つ。誘われるように部屋の前に立ち止まった。ドアに据えられた看守窓から中を確認せずに、閉じられた扉に手を乗せる。強化された握力によって、指が扉へ突き刺さる。歯を食いしばり、傷口が開き、扉を強引に引き剥がした。
「ほのか……ほのか」
 呼びかけ中へと進む。寒々しい打ちっぱなしの壁。窓の無い吹き溜まりと淀んだ空気。古ぼけた電灯が紗幕を通したように内部を照らしている。床下に置かれているパンとスープには、一切手が付けられていない。
 剥き出しのパイプに布団を載せたベットの上、灰色の囚人服を纏った星名ほのかが蹲っていた。
「こないで、こないでこないで」
 落ち窪み、泣き続けた後のように目を真っ赤に腫らし、枯れた声で彼女は呟き続けている。
 呼びかける事をやめ、彼女の小さな肢体に触れる。そして、何かに取り付かれ呻いていた彼女の瞳が、日向へと焦点を結んだ。
「いやあああぁぁぁッ! いやあああぁぁぁッ!!」
 強風に煽られたかと思うほどの力の奔流。体育館でのことと同じに、焼き直しされる光景。意識を破壊する雑音。細胞の一つ一つが針の上で踊らされる。途切れては覚醒を行き来する視界。彼女に触れた手だけは離すまいと、腕の位置を保ち続ける。
 今までとは比べ物にならない力だが、薬物の影響下に置かれているため昏倒することだけは避けた。
 ベラドンナと岸峰に聞いた、彼女の能力の正体は矯正。彼女の思い通りに他人を欲望させる力。今現在、我を失っている彼女は他者を排斥しようとしている。体育館で聞いた彼女の悲鳴が蘇る。それは、自分が他人を傷つけてしまうことを恐れているからか。自身の存在が許せないから、触れ合う事を認められないのか。
「大、丈夫。大丈夫だよ、ほのか。俺、ここにいるから。ほのかの、傍にいられるから」
 痛んだ白い髪を振り乱し、彼女は拒否を続ける。日向から逃げようとする星名を、必死の思いで繋ぎとめる。強すぎる精神汚染が、身体を焼き切ろうとしていた。
「嫌なことがあったと思うけど、やめないでくれ。疲れて、もう無理だって思ってるのかもしれないけど、続けて欲しいんだ」
 母を殺し大勢の人を殺した事で罪を承認してしまったがため、彼女は心の牢獄を選んだ。それは正しく、潔いことなのかもしれない。
「俺が、ほのかの傍にいたいんだ。だから、俺の所為にしてくれ。全部……。それで、ここから逃げよう」
 叫び続けていた彼女の声が止み、日向の身体を押しのけようとしていた手に、力無い握力が宿る。
「……違う、よ。最初、から、悠くんの、所為、だよ」
 掠れた声が聞き取り辛くて、だから彼女を抱きしめた。汗も血も、柔らかな肌の感覚も麻痺した体で知る事は出来なかったが、もう襲い掛かる雑音は無い。
「私ね、お母さんを、殺し、ちゃったの。あの、避難所にいた人たちみたいに。全部、嫌になって、閉じこもっていようって思ったのに、悠くんと会って、悠くんに会いたくて、私お外に出たの。次は失敗しないぞって。それで悠くんの所為にして、甘えてた私の責任。こうなることは、分かってたのに、だから、もう、終わりにしようって」
「だったら、最後まで背負わせて欲しい。言い訳にでも何にでも使ってくれ。もう、綺麗事なんてまっぴらなんだ。そんなんで自分を押し込めてさ、やりたいこと、願った事に触れられないなんて、ごめんなんだよ」
「卑怯だよ、そんなこと。それに、私の傍にいると、悠くんが不幸になる。持っていたもの、捨てなきゃいけなくなる」
「何だっていい。どうにでもなれだ。俺は、ほのかのためなら神様にだってなってやる」
「悠くんのお父さんと、お母さんはどうするの? 悠くんは、傍にいたかったんだよね?」
「そうだけど、それを思いださせて、俺がしたかった事を見つけてくれたのは、ほのかなんだ。だからさ、情けない話だけど、俺もほのかの所為にしたい」
「ひどいよ、それじゃあ私、もっとワルモノ」
「ああ、それも俺の所為にしてくれ」
「責任の擦り付けあいだよ。かっこわるい」
「格好なんて付けないって決めた」
「自分勝手」
「でもさ、お互いの所為にしてたら、俺たち、ひとりじゃいられなくなるだろ。だから、傍にいて欲しいな」
「……それは、他の人たちを見殺しにしておいて言えることなのかな」
 元々、そんなふざけた事で誤魔化せるとは思ってなかった。だが、それしか考えられなかった。
 彼女を無理やりにでも抱き上げる。
「ふぁうッ」と少女が驚きの声を上げていた。
「ちょっと、俺に付き合うの、我慢してくれよ」
 薄暗い牢獄から、日向は駆け出した。
「強引だよ。おろして、悠くん」
「駄目だ」
 一言だけ告げ、何かを言いたそうな彼女の顔を見ないように走り抜ける。
 薄暗い階段を駆け上り、扉を潜り外へと出た。辺りは既に薄暗くなっており、遠くに星の瞬きが見える。グラウンドには巳荻も、岸峰の姿も無かった。彼らがどうしたのかは今考えるべきではない。ベラドンナとの合流地点を目指して、学校の敷地を抜ける。その間、彼女は一言も口を開かなかった。
 林の中を駆け抜ける二人を照らす星屑が一粒流れ、失い続ける少年と奪われ続けた少女は、揃って空を見上げるだけだった。


あきねずみ

Author:あきねずみ

セルフ 貴子同盟

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