鼠の騙し討ち

太刀打できますん

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 随分と寒さも和らいできた三月初頭。約二週間の入院を終え、日向悠生は復学した。
 ベラドンナと岸峰虎太郎の両名に星名ほのかが誘拐された事件は、巳荻と城之崎の活躍により阻止できた。しかし、依然として逃亡したベラドンナ達の足取りは掴めていない。
 救出された星名は特に外傷も無く、数度の事情聴取の後に普段通り学校へと通っている。
 ベラドンナ達は今後も星名を狙う公算が高い。今分かる限りの事を知っておかなければ前回同様、後手に回ることになるだろう。己の出来る事をやるべく学校へ着いた日向は、まずデータベースで岸峰虎太郎の事を調べた。
 最初見つけたときは無関係だと思っていたが、星名の証言から誘拐実行犯は岸峰だと判明した。
 ベラドンナについても、星名が狙われる理由についても分かっていないことが多い。唯一ブラックリストに記載されている岸峰の情報を、日向は求めていた。
 異能者として登録されたのが十六歳の時。その後、学生部隊から征伐自衛隊に加入。ハンドガンタイプの異核兵装を所持。能力は精製した弾丸の小規模爆破。三重県奪還に参加した数多の英雄の一人。その後、突如として行方を眩ましリスト入りをしている。
 簡単にまとめると以上のようになる。そして十年来、音沙汰が無かったにも関わらずベラドンナの共犯と言う形で表舞台へと出た。
 そして、頭に入れた資料の中に気になることがあり、とある人物の元を訪れた。
「ここなら、いいでしょうかね」
 屋上の扉を開けた、仄草教諭が呟く。日向は階段を上り、仄草の後に続いて屋上へ出た。温かくなってきたと言えるが、まだ屋上の風は冷たい。その所為だろうか、仄草の恰幅のいい体つきと柔和な笑顔が、今日は寂しく見えた。
「先生、岸峰虎太郎のこと教えてくれるんスか」
 岸峰が所属していた、第十師団第二十三通科連隊第三普通科中隊。そこへ仄草も所属していた。何か知っていることは無いかと思い、昼休みを利用して仄草に聞きに行ったのだ。
 日向が入院していた病院へ仄草が見舞いに来た時は何も言っていなかったので、岸峰について何も知らないのかと思っていた。しかし、先程仄草に岸峰の事を聞いたとき、ここで話すことではないと言うことで屋上へ案内された。安易に聞くべきではなかったのだろうか。開けてはいけない箱を開こうとしているのではないか。他人の暗い部分をつつき、重たいだけの荷物を背負わされるだけではないかと。
 まだ移植して間もない皮膚の、奥底から突き上げる痛みを堪える。しかし、痛みを訴えているのは体の傷だけだろうか。
「岸峰さんは、学生部隊からの先輩だったんですよ。昔から厳しい人で、同じ班に振り当てられた時は、ちょっと胃が痛くなりましたね。規律や時間、上下関係にうるさいのは当然なんですけど、彼は守る側よりも守らせる側の人でしたね。僕達より年上の人が班長を勤めていた時も、よく先輩に意見して煙たがられましたよ」
「上下関係にうるさいのに?」
「ええ、うるさいですよ。下にも上にも噛み付いてましたから」
「それ意味が違うじゃないすか。むしろ自分が王様じゃないすか」
「自分のわがままのクセに、これは学生部隊の総意だ、とかはよく言ってましたね。うん、王様です。征自に入ってからは、ちょっと丸くなったんですけどね。丁度、岸峰さんが結婚したくらいのころかな。大きな事を言う癖は、変わりませんでしたけど」
 征伐自衛隊の略称に、年上の人はよく征自と使う。陸上自衛隊は陸自。海上自衛隊は海自。だが、若い世代になってくると、より戦う事を意識した征軍という言葉が浸透している。
「命の取捨選択も迅速でしたね。助かる見込みの無い一般の人や仲間を切り捨てるのは当然でも、彼は徹底していました。一瞬すら躊躇わなかった。全ては部隊が存続し、クリーチャーを殲滅するためと」
 だとしたら、二週間前の攻防で日向の攻撃からベラドンナを庇った行為は、自分の命よりも優先すべきことだったのだろう。つまり、奴らのアキレス腱がベラドンナだ。
「そして、三重県封鎖の事件。あの時に、彼は奥さんとお子さんを亡くしているんですよ」
 クリーチャーの予想外の攻勢と、征軍の度重なる失態により起こった三重県封鎖。十年前、クリーチャーの発生から数日間に渡り殲滅の報が届かない事態があった。次第に広がってゆく不安。テレビには、いつまでも家に帰れない人々の生活模様が映っていた。数週間後に発表された、三重県の隔離。厳密には、クリーチャーが発生した三重県の中心地点から半径百キロほどが封鎖区画とし、"国境"の維持に努めるとの事だった。
「奥さんとお子さんの死亡が確認されたのは、封鎖が決定する前日のことでした」
「それって、クリーチャー発生から随分経ってますよね。まさか……」
 一切の生態が不明だったクリーチャーだが、三重県の事件で判明したことがある。彼等は、掌握した土地に餌場を作るのだ。ある区画に人間を追い込み、しばらく間隔を置いてから食事をする。しかし、食事等を取らなくてもクリーチャーが活動できることも判明したため、なぜこのような習慣があるのかは依然不明のままだ。
「ええ、餌場から運良く征自に救出された方がいましてね。その方は、ビデオで餌場の様子を撮影していたんですよ。自分達が襲われる様子も、救出される様子も。そのビデオを、どのようなルートで手に入れたか知れませんが、岸峰さんは見たんだそうです。そして、そこに奥さんとお子さんが映っていたと、私は聞かされました」
 なぜ、そんな悪趣味な展開になるのだろうか。その人が撮影なんてしていなければ、残酷なだけの事実を見ることも無かっただろうに。
「強い人だと思ってました。弱音一つ、涙も見たことが無かった。だから、この人は自分の中で決着を付けられる人だと。でも、三重県が奪還されてから、彼は私達の前から姿を消しました」
 自嘲気味に、仄草教諭の顔が歪んだ。
「私がこうして生きていられるのも、彼のおかげでした。犠牲は大きかったのも事実ですけどね。容赦無く命を切り捨てる姿は仲間から恨まれてはいましたが、助けられる人を命がけで助けていたのも事実です。でも私は、彼のことを助けられるか、助けられないかの判断すらしなかった。彼は平気だと思い込んで、自分に何か出来ないか、という事をまったく考えていませんでした」
 先生は別に悪くありません。仕方の無いことですよ。思い浮かんだ言葉は全て、声になることは無かった。
「その……岸峰さんは何がしたいんですかね。今まで、何もしてこなかったっていうのに」
「さあ、分かりません。経緯を聞くと、どうやら彼はベラドンナという人物に協力しているみたいですけど、自暴自棄に走っているのでしょうか。そんな気はあまりしないんですけどね」
「政府に逆恨みして、犯罪者になったってのは?」
「だったら、もっと大きな組織に属して過激なアクションがありそうですけどね」
「潜伏しながら力を蓄えて、ようやく動き出したって言っても、狙ったのが星名さんじゃちょっと変っすよね。クリーチャーの被害者なら、それこそ自衛隊にいた方が恨みとか晴らせそうって思うんすけど」
「さっき日向くんが言ったとおり、逆恨みしてしている人も多いですからね。心が折れてしまう人も。あの人は、後者だと今まで考えていました」
「結局、何も分かんないすよね」
「でもまあ、こうして生きていたと分かっただけでも、少し嬉しいですかね」
 曖昧に苦笑いを浮かべる仄草の言葉が、空しく風にかき消された。


 紙パックのジュースを押しつぶし、廊下から教室の脇にあるゴミ箱へ投げ捨てた。昼休みも半ばを過ぎ、昼食を取り終えた日向は先程の仄草教諭の話を反芻していた。
 結局分かったことは、岸峰の凄惨な過去だけだ。それも、このご時勢では珍しくも無いほどの。しかし、だからと言って無関心なまま捨て置くことは日向にとっても難しい。
 明日は我が身。この世界に住んでいるのなら、誰にでも当てはまる。ましてや自分は異能者として、学生部隊として矢面に立たなければならない。そして何より、星名のことがある。いくら岸峰に同情しようと、ベラドンナに隠された何かがあろうと、天秤にかけられるものではない。
 常に人類はクリーチャーの危機に晒されているのだ。それに加えて、異能犯罪者にまでに狙われるような、心身の注意を要する状態は避けたい。ただでさえ、クリーチャーの襲撃で家族を失っている星名だ。これ以上の心労は早急に無くしてしまいたい。
 このような状況が続き、不測の事態を招いた結果に待つものは、日向のよく知る者と重なってしまう。
(やめろ、イチイチ思い出すな)
 校舎裏まで歩き、人気の無いところで縺れる胸中を静めることに勤める。今考えるのは星名のことだけだ。それだけでいいと自分に言い聞かし、何気なく前方を見てみると星名の後ろ姿があった。
 小柄な体と真白い髪は、誰も居ない場所だと遠目からでも随分目立つ。入院中は事件の影響か、星名は外出が禁止されていたため会う事が出来ず、今日も二言三言交わしただけだ。巳荻たちから星名は怪我一つ無く無事である事を聞いてはいたが、実際その目で見たとき驚くほど安堵した。
 もう一度、いや何度でも、その甘い声とあどけない仕草に触れたいと彼は思い歩き出す。
 彼女は立ち尽くしているが、一体何をしているのだろうという疑問は、隠れて見えなかった城之崎大地の姿で凍りつく。
 別に警戒する必要は無い。苦手な相手だが、星名を助けるために奮闘していたものだし、日向も感謝している。だが、校舎裏の人気の無い場所で二人は何をしているのだろうか。
 静かに近づき、物陰に隠れて様子を窺う。少し、星名は不安そうな表情をしている。対して城之崎は、いつも通りの無表情だ。
「単刀直入に聞こう。星名、お前の能力は何だ」
「もう何度目なの。なに言ってるのか分かんないよ……」
「異核兵装は何だ。まさか、俺達のような近接タイプじゃないだろう」
「知らないよ、そんなの。話はそれだけ? じゃあ私、もう行っていいかな」
「まったく、とぼけた連中ばかりだな。お前と言い、あの女と言い」
「私、本当に知らないの。能力なんて使ったこと無いよ」
 何が目的か知らないが、聞いていて気分の良いものではない。止めるべきだと日向は思った。
「嘘をつくな。お前は、巳荻や日向に自分の能力を使っただろう」
 割り込もうとした所で、動きが止まってしまう。城之崎の言っている意味が分からない。星名に能力を使われた、というのはどういう意味だ。一体どのようにして、どのような影響を受けていたのだろうかと思案するが、そんな覚えはまったく無い。
「他人に干渉する能力を持っているんだろう? そして、自分の身に危険が迫ったとき守らせようとした。その証拠に、お前の能力の影響下に在るあいつらは、偶然に連中を見つけ出している。お前が誘拐されたと知った、その直後だ」
 確かに、岸峰を見つけたのは偶然だ。しかし巳荻の方は、ベラドンナを追うために張り込んでいたと聞いている。
「そんなことしないよ!」
「岸峰虎太郎に遭遇した時はどうだ? あれ程の能力者だ。お前の能力は通じず、上手く切り抜けられたのだろう」
「よく覚えてないの。あの時の事は……」
「俺が巳荻に連絡を入れた時……いや、そうだな」
 城之崎が言い直す。少し不自然だが、何があったのだろう。しばらく沈黙が続くが、何を考えているのか。
「無自覚にしては、些かやり方があざといな。日向が最初にお前を見つけたときもそうだ。何故クリーチャーに襲われ、そして無事だったのか」
「あれは、それまで寝ていて、逃げていたら……」
「救護要請の連絡を入れれば、それでいいだけの話だろう。何故わざわざ外に出る必要がある。そして、お前がクリーチャーから逃げる直前、ベラドンナと会っている筈だ。その時に逃げる必要性が出た。いくらベラドンナ以上の能力を持っていたとしても、戦闘経験が無いお前では勝てないと悟ったためだ」
 この先を聞いてはいけないような気がする。今すぐにでも割り込み、脅えている星名を連れてこの場を離れたいが、足は根を張ったように動かなかった。
「ベラドンナの能力はクリーチャーを操作すること。しかし、お前の能力はベラドンナ以上の影響力をクリーチャー以外の他者に対しても持っている。つまり、手駒を増やそうとしていたんだろう?」
 その時に、偶然居合わせたのが日向だ、とでも言いたいのだろうか。
「単純に個としての戦闘力を見ればクリーチャーを操作した方がいいが、人間、それも征伐自衛隊なら、被害者の皮を被り奴を追い詰めることが出来る。操作する人間も少数で済むからな」
 わざとだった、そんな風には思いたくないと歯噛みする。星名がクリーチャーに襲われている演技をし、助けに入った日向は、ただ利用されただけなのか。城之崎の言葉は穴だらけだ。憶測だけで判断し、自分の意見を押し付けているに過ぎない。否定したい。ただの妄言だと。だがこの推論だと、疑問だったベラドンナが星名を狙っている理由も、おぼろげではあるが掴めてしまう。そして岸峰を見つけたときの、無意識に異能を使った状況にも納得がいく。
「知らない! 酷いよ、そんなことしないよ……」
「日向はお前に好意を抱いているが、それも誘発させたものだろう? 体のいいスケープゴートにするため飼い殺し、在庫としてマネジメントする。お前が糸を張り、奴の代替をいくつ抱えているのも"知らない"の一言で済ませる気か。先の戦闘で分かったが、少なくとも巳荻はお前の術中に嵌っている」
 本当にそうなのか。この気持ちに嘘は無いはずだと強く信じたい。人の感情が振り下ろした認識は漠然としているが、それでも彼女が好きだというのは日向自身が判断した事だ。
 なのに、やけに喉が渇く。胸郭に芽生えたざわつきを抑えきれない。城之崎の言葉だけではない。感情を疑った瞬間から纏わりつく、薄暗いベールを孕む違和感が拭えない。今まで見ていた風景が、途端に張りぼてのような質感を視覚に与えてくるようだ。
「本当に、自分の能力に対して認識が足らないとしたら、いずれあいつらは使い物にならなくなる。常にむき出しの精神を汚染され続ければ、自我が耐え切れなくなり崩壊するだろう。そうなる前に力を使いこなせるようになっておけ。余計な混乱を招きたくないのならな」
 最初に会ったとき、どんな事を思っただろうかと想い出す。その無垢な表情から視線を外す事が出来なかった。彼女が一般人だから。自分が学生部隊だから。守らなくてはならないのだから。惹かれることに言い訳を繋いだはずだ。
 少し鼻にかかった甘い声を聞いたとき、子供のようにクルクルと表情が変わったとき、その積雪のような肌に触れられたとき。忘れていない。星名と知り合った時からの三ヶ月を、詳細に思い出すことが出来る。彼女の事以外が考えられず、何も手につかない時間が増えてゆく。それが恋心だと言いきれたら、どんなに楽なのだろう。
 だが、鮮明すぎる記憶のため逆にすわり心地の悪さを見つけてしまった。何か途方も無い力に牽引され、彼女との思い出だけが明瞭に浮かび上がり、齟齬の無い精巧な形を保っている。
 違和感の無さ過ぎる心境が、疑惑に満ちていた。日向悠生はこんなにも綺麗に感情を並べられただろうか。好きなものも、嫌いなものも、幸せ、興味深いこと、無関心、ピースは全て揃っているはずだが、パズルを完成させることが出来なかったはずだ。無意識に広がってゆく周囲との溝を、経験と類推で埋めていった。柄の違う欠片が上手く嵌るのだとしても、それを許容してはいけないと。いつも不安と恐怖が認識の裏側にあったはずだ。こんなにも自然に出来上がった、彼女に対する思いはどこかおかしい。
 正しい形を取る事が出来ていたと思っていたが、絵の具を重ね塗りしたようなチグハグさがある。
 彼女に対する気持ちを疑えば疑うほど足元が崩れ、立っていられなくなる。心臓が早鐘を打ち、落ち着かない眼が校舎の壁を彷徨う。一気に気温が下がった気がし、片腕で肩を抱く。気がつくと、話は終わっていたのか星名と城之崎の姿は無かった。


■    ■    ■


 チャイムが鳴ると、皆浮かれた様子で教室を出てゆく。今日は夕方からの訓練が無い日だ。数日前から外出許可を取っていたグループは、これからの予定を確認しながら談笑している。入院していた日向は何も予定を考えていなかった。しかし、どこかのグループに混ざって街に繰り出す気にはなれない。城之崎の席を見ると、もう彼の姿は無かった。そして、星名に会いに行こうと考え、すぐにやめた。
 しばらく教室で頬杖を付き、ぼんやり前を見ていると巳荻が席の傍まで来ていた。
「ねえ、ちょっと頼みたい事あるんだけどいい?」
 いつもと違った抑揚の無い声に戸惑う。見舞いに来た時も、どこか巳荻は上の空で気の無い返事ばかりだった。「どうした」と聞くと、言い辛いのか彼女は顔を逸らした。
「あのさ、ほのかって外出禁止だったじゃん」
 星名の名前が出て、胸の上に氷を落とされたような感覚に陥る。
「今日から外に出られるんだけど、私ほのかの護衛で一緒について行く予定だったのね。けどさ、急に予定入っちゃって日向に代わりをお願いしたいんだけど」
「え、護衛って。監視の奴はいないのか?」
「いや、もちろんいるけどさ。やっぱり、傍にいられる人間が必要だろって仄草先生から言われてて。ほのかには護衛だって伝えてないわけだから、ここじゃ私かアンタくらいじゃん。それが出来る奴って」
 確かに、星名と自然に行動し、かつ戦力になるのなら巳荻か日向が適任だろう。しかし、星名は二度も狙われている身だ。もう少し護衛が必要だと伝えるなりして、用心した方がいいのではないだろうか。彼女にしても、自身が危険な立場にあることは分かっているだろうから、このタイミングの外出は不用意に思える。
「あ、ごめん。何か予定あった?」
「いや大丈夫、だけど」
 反射的に返事をしてしまい後悔する。いま星名と一緒になり、普段通りに接する自信が無かった。
「じゃあ頼むわね。ほのかにも、後で埋め合わせするって伝えといて」
「ああ、いいけど。そうだ、巳荻の予定って何だよ。何があるんだ?」
 わざわざ問いたださなくても良い話題だったが、少しでも星名に会うまでの時間を引き延ばしたいと思い、日向の口をついて出ていた。
「ああそれは、そうね、また後で話すわ。ゴメンね、ちょっと急いでてさ」
 そして、待ち合わせの場所と時間を矢継ぎ早に伝え、巳荻は教室を出て行った。
 どこと無く、と言うまでも無く巳荻から距離を置かれている感じがする。急いでいると言えばそれまでだが、体のいい言い訳に聞こえる。普段の彼女ならば、こちらが聞くまでも無く自身の予定を伝えてきているはずだ。快活でフットワークの軽い彼女が、一体どうしたと言うのだろうか。様子が変わったのは、前回の戦闘を境にだろう。
 まさか、巳荻は気付いたのだろうか。星名に感情をコントロールされているかもしれないことに。
 とにかく、星名を待たすわけにもいかない。外出許可届けを提出し、寮へ戻って着替えるため日向も教室を後にした。


 女子寮の前に行くと、私服に着替えた星名が立っていた。
 どのように声をかけるか。巳荻が来れない事だけを伝え、帰ってしまおうか。なるべく、星名の傍には居たくないと日向は逃げ腰に考える。
 今はもう、胸のざわつきは収まっている。違和感すら薄まっている。だが、これが本心なのかと決めかねていた。
「あれ、日向くん。どうしたの」
 気が付くと、いつの間にか星名に声をかけられていた。いつも通りの微笑と、肌の量感を伝える甘い香りが鼻先を掠める。
「実は今日さ、巳荻のヤツ来れないみたいなんだ。急な予定が入ったとかでさ、ごめんって」
「そうなんだ。お話したいことがあったのに、残念だなぁ」
 俯く星名を見ていても、続く言葉が出てこない。今日のところは諦めてくれないだろうか。そもそも、他に連れが居ないのだろうか。待ち合わせの時間丁度だが星名以外誰も居ない。彼女と仲のよさそうな非戦クラスの女子を見かけたが、他の女子と私服を着て歩いている姿を見ている。
「百花ちゃんの用事ってなんだろ。彼氏が出来たのかな? 彼氏だよね! 親友の私を置いてくくらいだもんね。これは後で問い詰めないと。ね、日向くん」
「さあ、どうなんだろうな。先生に呼ばれただけかもしれないし。それと、アイツを問い詰めると後が怖いから遠慮するよ」
「遠慮しちゃダメ。日向くんだって気になるでしょ?」
 城之崎に言われた言葉を気にしていないのか、星名はいたって普段通りに振る舞っているように見えた。
「う~ん、でもそっかぁ。どうしようかな」
「そういや、他に誰か居ないの?」
「うん、百花ちゃんだけだったんだけど……ねえ、日向くん。せっかくだし、今日付き合ってくれない?」
「……ああ、いいよ。んで、どこ行くの?」
 一人で星名を出歩かせるわけにもいかず、また巳荻との約束もある。断る理由はなかったが、内心穏やかではいられなかった。どうすればいいのか、どんな態度を取ればいいのか思いあぐねている。
 星名が歩き出し、「ありがと、最近お外に出られなかったから、お散歩かな」と告げ、二人は正門へと向かった。
 二人並んで学校を出たところで、少し離れたところにクラスメイトの柏原と、非戦クラスの藤原を見つけた。二人は手を繋いでおり、これから街に出かけるのだろうか。日向と星名を見つけた二人は、少し気まずそうに目を逸らした後、控えめに片手を挙げて去っていった。
「おいおい、あの二人付き合ってたのかよ。いつの間にだ」
「あれ、知らなかった? つい最近だよ。直接聞いたんだけど、藤原さんのほうから告白したんだって。すごいよね」
 遊園地に一緒に行ってから、三ヵ月越しの告白だと星名は教えてくれた。このご時勢では祝福すべきことだ。
「……あのね、向こうを見つけちゃったけど、こっちも見られちゃったね。どう思われたかな?」
 照れくさそうに星名が言うが、特に浮かれはしなかった。こちらに挨拶までしてきたのだ。当然、付き合っているものとして見られているだろうが、「さあな」と曖昧に返してた。付き合っているとは行かないとしても、お互いに気があるそぶりを見せているのだから周知の事実として認められているだろう。現に、よく冷やかされている。
 もう、すっかり冬の足跡も残っていない正門を出て街へと向かう。続いていく街路樹が小さく芽吹いていた。
「でも柏原も水臭いよな。一切教えてもらってないぞ俺。後でからかってやろ」
「ダメだよ、そんなことしちゃ。きっと恥ずかしかったんだよ。でも、やっぱり言って貰えないのって彼女としては寂しいけどね」
 薄く消えて行く不快感。本当に自分が星名に対しての違和感を認識していたのかということすら、ぼやけてゆく。先程まで、何を思い悩んでいたのだろうかと。
 しばらくしたが、彼女は本当に散歩がしたかっただけのようで特にどこかの店に入るわけでもなく、街並みを眺めながら歩いていた。日向の胸元までしか無い身長の星名に歩調を合わせる。
「そうだ、ちょっと腹減ったし、何か食おうぜ」
「いいね。というか、もうここまで来たらアレしかないね」
 夕食まで二時間以上あるので何か食べておきたいと思った日向の目の前に、丁度肉まんの店があった。学生部隊御用達。休日や近場で遊ぶ時などは、日向もよく買い食いをしに行っている。
 中華料理の点心を幅広く取り揃えているが、やはり彼らにとっては肉まんの店だ。一個九十円の低価格ながら、コンビニで売られているものよりも大きく、具もぎっしりだ。
「おばちゃん、肉まん二つ」
 運がよかったのか丁度蒸しあがったばかりの肉まんは、うっすらと湯気を上げていた。二人分の代金を払った日向は、一つを星名に差し出した。
「はいこれ、出所祝い。お勤めご苦労さん」
「ありがたいね~。しゃばの空気はおいしいね~」
 割と不謹慎かと思ったが、にこやかに星名は肉まんを受け取った。さっそく二人でかぶりつく。以前、この店で買った肉まんを割って食べようとした星名を見てクラスメイトが止めたそうだ。その理由も頷ける。かぶりついた瞬間、口の中に広がる薄口こく醤油の味付けと、風味豊かな椎茸、それらを包み込む肉汁は、香りだけでも楽しませてくれる。割ってしまっては、最初の香りを楽しむことが出来ない。まして肉まんだ。割った後に鼻を近づけて香りを楽しむようなものでもない。
「もう一個買ってくる」
「早っ! もう食べたの!?」
 店に引き返して肉まんを買い、戻ってみると星名の姿が無かった。辺りを見渡すと、彼女は缶ジュースを買っていたようで、自販機のある場所から小走りでやってきた。
「はいこれ、退院祝いだよ」
「サンキュ。星名さんのは?」
 見ると一つしかジュースを持っていなかったが、「ここだよ」と彼女は制服のポケットを叩いた。
 片手でプルタブを開け、一口つける。
「うぼっほッ! ゴホッ! なんだこれ!?」
 馬鹿にさわやか臭い味に驚き、注意深く缶を見ると、『新発売! ペプシ入浴剤』とラベルが貼っており、『なお、本物の入浴剤は使用しておりません』と書かれていた。
「ペプシとは、いっぺん話し合わねーとな。法廷で。とりあえず似非表記だから訴える」
 アメリカナイズされた思考で、鼻に入った炭酸と入浴剤よろしくの清涼感溢れる香りに辟易とする。しかし、こんな色物を買ってくる星名も星名だと思う。いや、ちょっと待て日向悠生。これはチャンスと捉えるべきだ。これ飲んでみなよ、とか言いながら星名に自分のジュースを飲ませつつそっちのまともなやつが飲みたい、などと言いながら間接キッスに縺れこめ!
「うぅ、日向くん。これ美味しくないよ」
「なんで自分のまで買ってんの……風呂に入りたかったの?」
「う~ん、目を閉じれば温泉気分」
「あ、『肩こり・痔・冷え性・神経痛・リウマチ・湿疹に効能が、ありません』だって。ざっけんなテメ。じゃあ書くなよ。……なんでこんなモン作ったんだ」
「多分アレじゃないかな。固形の入浴剤って、お風呂に入れるとシュワシュワってなるじゃない? アレが炭酸っぽいから」
「そんなひらめき捨てちまえッ! っていうか逆の発想で来いよ! ペプシを入浴剤にしろ……って、違っ、入浴剤を、ペプシにすんだよ。まだマシだろ」
「えぇ、そんなお風呂、誰も入りたくないよ」
 買ってきた本人の言葉とは思えない、とこめかみを押さえるのだが、包み込む大樹の香りに頭痛さえも治まってしまった。
「いつもいつも変な味ばっかり出して『入浴剤みたい』って不評だったから実際やっちゃったんだろうか、ってそれもおかしいな」
 真相は謎のままだ。
 そのまま捨ててしまおうかと日向はゴミ箱を見たが、星名がもったいないからと言うので渋々飲み干した。


 寒気の中にも温かさが訪れる日があるが、日が落ちてくれば薄着で出たのを後悔するほどだ。ジーンズのポケットに手を入れると、何かが触れた。星名が誘拐されたと知る直前に、露店で買ったネックレスだ。
 今なら渡せるだろうか。もう、この胸に重く沈んだ疑惑の鉛は溶けて無くなっていこうとしている。
 横に並ぶ星名を見ると、以前ほどではないが珍しそうに街並みを眺めていた。見られていることに気が付いたのか、星名がこちらを振り返った。ましろな髪が揺れる。
「どうしたの? あ、退屈だったかな。歩いてるだけだもんね。ごめんなさい、今日は付き合ってもらって。それに日向くん怪我してるし、やっぱり誘っちゃいけなかったかな……」
「いいっていいって。そんなに金持ってる訳でもないし、いつもどっかで遊んだり出来ないから丁度いいんじゃない? あと体は丈夫だし、リハビリにもなんないって」
 手の中で感触を確かめながら、タイミングを見計らう。これだ、と思える時機がなかなか掴めず、もういきなり渡してしまっても良いのではないかと思ってしまう。
「星名さん、ちょっといい?」
 思い切って告白しようとした時、後ろで何かを叩きつけた大きな音がした。
 振り返ると、目の前のバス停にバスが止まっており、乗り場に中年の男女がいた。男性の方は車椅子に乗っており、女性はその後ろに立っているのだが、なにやら女性の方は慌てている様子だった。
「これ、のんステップ、じゃ、無い! の、れない! 違う! 乗れない! ちがう。だめ! かえりたいのに、ちがう!! うぅううう!」
 両手を振り回し、大声を上げ、まるで子供のように駄々をこねる中年男性がいた。少し枯れた野太い声で張り上げる言葉はそぐわず、早くも周りから注視を浴びている。道路には車の玩具が転がっており、先程の音は玩具を地面に放り捨てた時のものだろうと思う。頬がこけた女性が、束ねただけの髪を揺らして必死に男性をなだめていた。
『乗られるんですかー。どうするんですかー』
 バスを止めたにも一向に乗車する気配の無い二人を見て、運転手が拡声器を使って行動を促し始めた。その声はいかにも関わりたくないと言った風で、拒絶しているのが見て取れる。その間も男性は車椅子を手で叩き、腰を浮かしてはまた戻し、「ちがうぅ! だあめえ! あああ」と繰り返しながら、しゃがれた声で叫び続けていた。しばらく男性の方を見ては、そ知らぬ顔で通り過ぎてゆく人々の中、日向はずっと立ちすくみ止まったままのバスの前にいる二人の様子を見続けていた。
「ねえ、もう行こ? あんまり見ちゃ駄目だよ。ほら、ね」
 星名が袖を引き言うが、引こうとする手を無かったもののようにバス停へ向かい歩き出した。数歩したところで二人のもとへ着いた。女性の方が日向に気がつき振り返る。ここまで来たというのに、喉が震えて上手く声が出ない。歩いていた時の足は他人みたいに、力が伝わらずに大股だった。どうして、もっと周りを見ていなかったのだろう。どうして、知らない振りをしなかったのだろうと後悔しても、もう遅い。
「もう、やめてくれよ、父さん」
 声が聞こえていても、聞こえていなくても、父は自分を見なかっただろう。何か言いたげな母を極力見ないように努め、父の肩を担ぐ。叫び、暴れる父の手が頬を打ったが構わずバスに乗り込み、乗車していた人達からの白い視線を向けられながら一番近い席に父を座らし、乗り口を見ると母が車椅子を畳んでいたので、それを持ち上げ席の横へ付ける。以前母が「周りの人はみんな親切でね、いつも助けてもらってるのよ」と言っていた事を思い出す。星名を置いていくわけにもいかないので、父のことは母に任せ、バスを降りることにする。まだ父は暴れていた。なぜ暴れるんだ、もう乗れただろう、と日向は眉を寄せる。車内に父の濁声が響き、誰かの舌打ちが聞こえた。この狭い空間の中では、居たたまれない事だと思う。余計な事をしたのだろうか。見なかったことにして、寒くなってきた夕方の街に両親を置いていればよかったのだろうか。次のバスが来るまで二十分ある。一度騒いでしまったのだから、近くを通る人々の好奇の眼差しを浴びるだろう。それとも歩いて帰るだろうか。ここから家まで徒歩で四十分。車椅子の父がいたら、もっと時間がかかるだろう。
「ごめんなさいね、悠……」
「降りる時、運転手に手伝ってもらって」
 それだけ言ってバスから降りようとすると、星名が乗り込んできた。驚いた日向は乗り口で固まってしまった。
「すみません! お騒がせします!」
 すぐにドアが閉まった。荒々しく発車するバスは、定時を過ぎていたから急いでいたのでは無いだろう。室内のスピーカーから、『乗車はスムーズに行ってください』とアナウンスがあり、星名がまた頭を下げて謝った。
「ごめんなさい! えぇと、西宮公園前までお願いします!」
 形だけでも一緒に頭を下げる。どうして謝る必要があるのだろう。なぜ彼女は謝っているのだろう。仕方が無いじゃないか。どうして知らない人たちに冷たい視線を向けられなければならないのだろう。こんなことになってしまった人間は、生きているだけで罪だというのだろうか。それでも、彼女の声が聞こえた事が何かの救いのように日向は思った。
 父を見ると随分落ち着いてはいたが、言葉にならない声でぶつくさ呟いていた。前の席に誰もいなかったのが幸いだったので、「ほら」と母に勧めると「え、ええ」と幾分戸惑いを隠せないように席に着いた。
「西宮公園でよかったよね?」
 星名が囁いたので、日向は頷いた。最初に会った時に、実家の場所を言っていた事を思い出す。だが、降りる停留所を伝える必要はあったのだろうか。
「あと、失礼なこと言っちゃって、ごめんね」
 真摯な表情で星名は言うが、失礼な事とはどれの事だっただろうかと頭を悩ませていたら、母がおずおずと口を開いた。
「あの、アナタは? 悠のお友達ですか?」
「いえ、違います。日向くんと、お付き合いさせて頂いてます! 彼女です! よろしくお願いしまう!」
 それは知らなかった。
「噛んじゃった、噛んじゃったよぅ。大事なとこで、恥ずかしい……」
 他に大事なことがあるだろう。
「あら、そうだったの。こちらこそ悠をお願いね」
 そうだったみたいです。
「よう兄ちゃん、いい彼女じゃないか」
 誰だアンタ。
「あ、はは。ははは」
 話の進行に頭が追いつかず、思わず笑みが漏れていた。喉が震えて上手く声が出ないので、星名と母が今日二人で行った場所や入浴剤の炭酸飲料の話をしているのを、相槌を打ちながら聞く。
 星名のコロコロと変わる幼くあどけない表情につられたのか、母も笑顔を見せた。母のこんな表情を見たのは、一体どれくらい振りだろうか。記憶の包みを解いてみても思い出せない。人の多いところでは機嫌の悪い父も、いつもより大人しかった。
 それにしても、よく暖房が効いている。じわりと温かさが広がってゆくようだ。星名を見ると、彼女には暑すぎたのか額に浮かんだ汗を手の甲で拭っていた。
「悠、アンタ怪我はもう大丈夫なの?」
 見舞いに来たときとは、打って変わってこの表情。
「ああ、俺、丈夫だから」
 いつも通りの返答も、力が抜けるようだったが少し弾んでいた。
 気がつけばバス停に着いていた。触られると駄々をこねる父を担ぐ時は不安に思ったが、ここでも大人しい。先程まで癇癪を起こしていたというのに、よくわからないと日向は首を傾げる。星名と母が代金を払い一緒に車椅子を持ちながらバスから降り、続いて父に肩を貸しバスを降りる。日が落ちる寸前の藍が空を染め、電柱がせわしく明滅していた。
「じゃあ俺達そろそろ時間がヤバイから、もう帰るよ」
「そうなの。二人とも、気をつけて帰ってね。ほらお父さん、バイバイって」
 一緒に手を振り、角を曲がって見えなくなるまで見送った。
「さ、それじゃ私たちも帰ろ。ここからだと、歩いて帰れば丁度だね」
 頷いて歩こうとするのだが、足が動かない。星名が一歩進んで、透き通った肌と白く痛んだ髪が跳ねる。その雪あかりが、あまりに眩しく目がチカチカとした。鼻の奥がツンと痺れる。
「あ……う、あぁ……」
 こみ上げてくる滴が、はらはらと頬を伝う。嗚咽を抑えきれずしゃくりあげ、うつむくと星名が傍まで来ていた。
「ご、めん。俺、星名さんのこと、言い訳にして、また、逃げようとして、おれ」
 これでは何を伝えたいか、分からないだろう。それでも、温かな身体が胸に落ち、星名の両手が頭に回される。
「つらかったんだね……もう大丈夫だよ」
「父さんが、あんな、ことになって。怖くて、なにも、できなくて」
「そんなことないよ。お父さん、乗せてあげたじゃない。それに、怖かったのは私もだよ。日向くんのお父さんじゃなかったら、見て見ぬ振りしてた。なにも出来なかったよ」
 中学生の頃だ。クリーチャーの避難勧告が二つとなりの街で発令された。家に帰ると母の姿は無く、電話で病院に来るよう言われる。包帯に巻かれ、チューブに繋がれた父の姿。三日後、目覚めた父はもう普段の状態ではなかった。保険金と国からの補助で家のローンは返せそうなこと。働きに出かけた母は、いつもため息ばかりをついていた。助けにならなければいけないのに、父の顔すらまともに見ることが出来なかった。身体検査のとき、自分が異能者だということが分かった。英雄への憧れもクリーチャーへの怨嗟もなく、矢面に立ち一番危険なはずが、ただ父のように無抵抗にならなくて済むと卑屈に安堵した。強化された体も、鍛え上げられた能力も、何も役には立たなかった。どうしようもないほど無力で、無知で、逃げるための口実を探す毎日。
 一気に話し終えるころには、もう涙は収まっていた。鼻を鳴らして立ちすくむ日向に、星名が優しく頭を撫で、回した腕にそっと力を込めた。
「大変だと思うけど、大丈夫。だって、日向くん、守ってあげられるじゃない」
 甘えてばかりで、逃げてばかりの自分が本当に出来るだろうか。そうではない。出来るようしなくてはならない。このぬくもりをよすがに、窮屈な場所でも立っていられるのだから、ここでもらったものを、それ以上で返したいと胸に乗せる。
「ありがと、ごめんな。なんか、迷惑ばっかかけて」
「そんなことないよ。それに、いつも日向くんには助けてもらってばかりだから」
 この温かさをずっと感じていたい。
「あの……それで、さ」
 抱かれたまま、立ちすくんでばかりはいられないだろう。動かなくてはならない。少しでも、大切な一歩を。
「俺たち、付き合ってるって、ホント?」
「えっ?」
 信じられない、と言った表情だ。
「だって私たち、手、繋いだよ? デート、いっぱいしたよ? チョコ、渡したよ?」
 最初から二人きりで出かけることなど、今回が初めてだっただろう。遊びに行く時は常にクラスメイト達がいたはず。具体的には、いつから付き合っていたのだと問いただしたい。
「いやちゃんと言ってないし。知らなかったし。なんか、ほら、その前にやることがあったはず。ついでに、チョコは手作りが欲しい」
 余計な事を言ったため、ますます星名の顔が曇り、口を尖らせて今にも泣き出しそうな表情をされてしまう。だから、そのか細い肩に、日向は腕を回した。
「好きです。付き合ってください」
「……うん」
 大変不服そうに彼女が言う。
「好き。……悠くんが好き」
「ああ、おれも、ほのかが、す」
 唇を、温かいものに塞がれた。驚きのあまり、鼻から漏れそうな息を必死で止める。固まって動かない日向の上を、星名が静かに動く。乾いた唇に湿り気が与えられ、彼女の唇が弱々しく引いてきた。唇が離れても、まだ近く。彼女の吐息が頬を撫で、目を合わせ、あかりに包まれながら微笑む。
「あのさ……ほのか、ちょっといい?」
 そして彼は、緊張を隠すように、ゆっくりとポケットに手を入れた。

あきねずみ

Author:あきねずみ

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