鼠の騙し討ち

太刀打できますん

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 朝のホームルームが始まるまでの時間、教室ではクラスメイトたちが種々な話題に花を咲かせている。検査入院と事情聴取のため一日置いて登校した日向悠生は、扉を開けた途端に僅かに視線を向けられる。
 効き過ぎたヒーターの不快感と、好奇の目に居心地の悪さを覚えながら日向は席に着いた。
 数十年前、突如として現れたクリーチャーは猛威を振るった。現代兵器は通用せず、ただ被害を見送るだけだった人類に突如もたらされた力、異能。心臓に張り付いた腫瘍、異核が『力場』を作りだし超人的な身体能力をもたらした。そして、身体を強化するだけではなく、『力場』の力はクリーチャーに傷を負わすことも出来た。また、異能を持つ者の間には稀に凶器を生み出すことが出来る者も居る。武器は異核兵装と呼ばれ、例外なく特異な付加能力を備えていた。
 突如として顕現した災厄に対抗するため、異能を持つ人間は齎された能力の詳細を掴めないままクリーチャーに立ち向かった。だが、クリーチャーの数は増すばかりで、異能を持つ人間同士が組織として動かざるをえなくなる。
 国が動き、異能を持つ集団が自衛隊として結成する事を認可された。もはやクリーチャーの被害は世界中に広がり、人類の存亡をかけた戦いとして広く認知され、現在に至るまで戦争は続いている。
 日本軍が定めた自衛隊の呼称は、征伐自衛隊。クリーチャー殲滅の専門部隊。
 ただし、異能に目覚めるものの中に未成年も多いことから軍隊学校も設立された。学生征伐部隊と呼ばれ、日向が在籍する高等学生は全国各地に散らばった自衛隊の支援活動として戦場に立つ事もある。
「おっはよー。体のほうは大丈夫なの?」
 かけられた声に振り向くと、一人の女生徒。巳荻百花が立っていた。
 背中まで届く艶のある黒髪。綺麗に切り揃えられた前髪から覗く切れ長の瞳は睨んだだけで人を射るような冷たさを持つが、今は人懐っこく緩んでいる。
 170センチを超える身長とスタイルの良さ。そして黙っている時の近寄りがたいほど整った顔立ちは、見とれる事が許されないほど威圧的だ。自分より実力が上の者へ対する劣等感も相まって、日向は彼女が苦手だった。
「おはよ。まあ、なんとか。それより、一昨日の戦闘だけど、俺が抜けてからどうだった? 無事だってのは聞いてたけど、怪我とか無かった?」
 横目で城之崎大地の席を見る。以前、日向は部隊を抜け、独断で行動したことがある。その折、日向が所属する部隊がクリーチャーに襲われてしまい、苦戦を強いられる結果となった。部隊の仲間たちは無事だったが、日向と同じ部隊にいた城之崎との仲は険悪なものとなってしまった。
「全然、大丈夫だったよ。みんな良い感じにフォロー出来てたし。つかさ、あそこで日向が私のこと庇ってくれなかったら逆にやばかったね。アイツ強かったよねー。お前なんだよ、恐竜かよ! って感じ」
 平静を装いながらも仲間の反応に酷く脅えていた日向だったが、巳荻の言葉で少し肩の荷が下り笑みを返す事が出来た。
「って言うかさ、日向こそ大丈夫だったの? ビルから落ちた後さ、別のクリーチャー追っかけてたんでしょ。それから異能犯罪者まで出てきたって話しじゃん。昨日も検査で入院とかって聞いてたから心配してたけど、案外平気そうな顔よね」
「いや、結構中身はガタガタで今日も訓練とかは参加出来ないんだ。とりあえず、一番心配だった異能犯罪者、ベラドンナって言ってたんだけど、そいつの能力でつけられた傷も後遺症とかは残んなかったし、明日には復帰できそうだけど」
「後遺症って……なによ、それ。どんな能力だったの?」
 ベラドンナと名乗った西洋人の異能犯罪者について、日向は掻い摘んで巳荻に説明した。精巧な人形のような顔と、ゴシック調の服装。手に持ったレイピア―――異核兵装。僅かにつけられた傷で、平衡感覚を失うほど強烈な毒を持つ能力。避難に遅れた星名ほのかを狙い、クリーチャーを呼び出して逃げたベラドンナの目的は、依然判明しないままだった。
「毒か、性質の悪い能力ね。まるで日向みたい」
「まるで俺みたいってなんだ」
「だってアンタの能力なんかズルイじゃん。そしてウザイじゃん。能力は人を表すって誰か言ってたけど、ホントその通りよね」
「俺、お前には迷惑はかけないように生きるから、どうか二度と話しかけないで下さい」
「ムリムリー。一昨日は庇ってもらったけどー、いつもフォローすんのこっちじゃーん。迷惑被りまくりだから盛大に話しかけちゃうぜ?」
 本気で申し訳なく思う日向だったが、屈託無く話す巳荻に釣られてしまい、落ち込む暇は無さそうだった。
「てかさ、なんでそのベラドンは、わざわざクリーチャーの居る警戒区域に出てきたんだろうね」
「べラドンて怪獣みたく言うな。城之崎は、隣町で起こったクリーチャーの発生と、こっちの町で出てきたクリーチャーは何か関係があって、その原因がベラドンナにあるかもしれないって話してたけどな。ベラドンナのほうは、自分は便乗したかっただけだ、って」
「そういやべラドンはクリーチャーを呼び出せるんだっけ。かなり怖いわね。んで便乗か。別々に考えたほうがいいかもしれないわね」
「もうべラドンでいいんだけど、別々って?」
「んっとね、隣町で発生したクリーチャーと、こっちで発生したクリーチャーは無関係じゃ無さそうよね。今まで、何十年もクリーチャーはある程度の範囲までは一区域にしか出てこなかったのに、隣町とこっちの町に同時刻に現れた。そこにべラドン、異能犯罪者が出てきた。そしてべラドンはクリーチャーを呼び出せる」
「ああ、そっか。それで便乗」
「多分ね。隣町にクリーチャーが自然発生した時、こっちでべラドンがクリーチャーを呼び出したってとこじゃない? 恐らくクリーチャーを使って、征軍に邪魔されたくない目的があったんだと思うけど」
「軍じゃねーぞ、征伐自衛隊。俺もよく言うけどさ。で、目的……星名さん、か」
「そこがしっくり来ない。私も一昨日城之崎から聞いたけどさ、その星名さんって人が狙いなら、拉致って人気の無い所でクリーチャーを呼び出せばよかったのに。なんでわざわざ、こんなに目立つ事をしたのかが分っかんないのよね」
「あっちにもなんか事情があったんじゃないか? 便乗したかったって言ってたわけだから、失敗してんだよ。焦ってる、とか言ってたし。まあそんなこと言い出したらキリ無いんだけど」
「んー。あと、星名さんが狙われた理由も分かんないよね。多分、星名さんが異能者だったってのと関係してるんだと思うけど。もし異能者だったとしたら、能力持ちよね彼女。だって、普通の異能者ったって人より運動できる位だし。やっぱ異能者狙うなら異核兵装の能力絡みよ」
 それきり二人は黙り込んだ。
 一昨日のクリーチャー掃討任務は、近辺の軍隊が出払っていたため学生部隊主導の元に行われた。異例の事態に、初めての学生主導任務という事もあり教室では互いの健闘を称え合う声が聞こえている。
 戦闘前や戦闘中に震え、脅えていた仲間たちの姿とは実に対照的だ。
 浮かれている教室内とは反対に、日向を含めた一部の者には、しこりの残る結果となったが。
「そういえば日向は知ってる? その星名さん、今日ウチに転校してくるって」
「え、知らないけど。……にしても、急な話だな。まあ当然といえば当然だけど」
 星名の白髪は目立つだろうから、同じ学校に通っていればすぐに分かるはずだ。今まで異能者ではなく、ごく最近、心臓に腫瘍が出来たのかもしれない。そして一昨日の戦闘の時に検査を受け、転校の流れになったのだろう。
 この国に限らず、心臓に異質な腫瘍を持つ異能者は政府に申告し、登録後に自衛隊や養成学校等に移籍することが義務付けられている。申告する義務を怠った場合は刑罰に問われ、また、学生や社会人が毎年受ける健康診断には胸部のレントゲン撮影で腫瘍の有無を調査されることになっている。
 異質な力を嫌い、心臓に張り付いた腫瘍を取り除こうとする団体もある。だが、ことごとく団体の試みは失敗に終わっている。腫瘍摘出では取り除いた側から新たな腫瘍が出来、心臓移植をしたところで結果は同じだった。
 取り除かれた腫瘍の調査も行われているが、クリーチャーと同じく何も分かっていないのが現状だ。息絶えた瞬間に灰となって消えるクリーチャー。生け捕りにしても、仄暗い染みに包まれて逃げられてしまう。腫瘍、異核についても同様。何をもってしても、灰となって消えてしまう。
 全てが曖昧のまま、社会に溶け込むクリーチャーと異質な腫瘍を持つ人間。小さな頃から知っている馴染み深いものとは言え、脅威も、救いも、滑稽なものに映っていた。
「それで転校してくるのって、どこのクラスなんだよ? まさかここじゃないよな?」
「ええ、戦闘構成員じゃなくて非戦闘員のとこだけど。まさかって?」
「大人しそうな子だったからさ。あんまり危ない事が似合わなさそうだったし」
「そなんだ。でもやっぱり、こっちに来て欲しかったな。戦闘構成員って毎年減っていってるじゃん。このままじゃ本当に学生が前線に立たなきゃいけなくなっちゃうし。嫌だな、軍人になって仕事してる時に子供が同じ所に立ってるのって。お前らいいよ遊んでろ、って感じ」
「しょうがないだろ? 異能者の人権がどうのこうの無理に戦わすなとか言ってる連中が多すぎるんだよ。んで、戦う意思のある学生が前線に立てよ、って感じだろ。そんな事、言ってる場合じゃなくなったらどうすんだって」
「まあ自分勝手だよね。でも、やっぱ昔みたいに無理やりは良くないと思うんだ。もっとこう自分から、がんばろーって思わないとさ。こんな世の中なんだし。なんかさ、やる気ない人が多すぎるんだよ。特にクリーチャーが居なかった世代の大人って、みんなやる気ないよね。ニュースとか見てても、守ってもらって当然って言い方がムカつく。大人だけじゃなく、異能が無い人間も同じだしさ」
 非戦闘構成員のクラスは、比較的異能に対してネガティブな感情を持つ者が多い。なぜ自分が戦うための能力に目覚めてしまったのかと悲観し、危険を避けて戦わない道を選ぶ。
 数十年前まで異能に憑かれた人間は皆、クリーチャーと戦い人類を守る義務があると言う風潮だった。クリーチャーに襲われ、常に危険にさらされている一般人からすると当然の主張だ。
 しかし、戦う意思の無いものが前線へ出たことにより全体の士気が低下し、当時は現在と比べ死亡率も高かった。
 異能者の出現確率は一定ではない。一時期、異能者の数が不足しクリーチャーに対応しきれないという時代があった。街にはクリーチャーが徘徊し、県一つが占領され、多くの死傷者を出した。
 事態の解決に当たったのは、後の征伐自衛隊幕僚長「大和田正則」。占領された三重県からクリーチャーを駆逐するため、大和田は多くの異能者を招集した。その後、招集した異能者のうち前衛作戦に参加する者と、県境を防衛する者を志願させた。半ば脅迫のような形で送り込まれた異能者を切り捨て、積極的にクリーチャーを討伐するものを分け、奪還作戦を決行するという、ごく当然の事を行った。
 征伐自衛隊は比較的クリーチャーの少なかった四日市に空と海から強襲をかけた。これまで成功率の低かった降下作戦を難なく達成し、海自と空自の支援により作戦を成功に収める。そして、四日市解放区を拠点とし数々の功績を挙げ、遂に三重県の奪還に至る。
 三重県奪還により、征軍内での発言権を強めた大和田は戦闘に意欲的なものと消極的な者を分けるように働きかける。また、資金援助を目的とした異能者に対する人権団体の介入により、世論もついて来る形となった。性急な動きとなったが、これにより征軍並びに学生部隊は戦闘構成員と非戦闘構成員に分けられることになる。
「いっそ洗脳教育でもしてれば良いんじゃね?」
「どこの半島よ、それ。やっぱり自分たちが危なくならないと分かんないのかな」
「文句言うだけで、なんにも変わりゃしないって」
「そうかも知れないけどさ……」
 ホームルームを告げるチャイムが、スピーカーから響いた。巳荻が手を上げて「じゃあね」と言い、席に戻っていく。
 教員が教室に入り、今日の予定を告げる姿を頬杖を付きながら眺める。
 一昨日の戦闘によってつけられた、異能による毒素を取り除く術は無い。昨日は病院で慰めにもならない検査を受けたが、現状は影響が出ていないことから安心してもよさそうだった。
 憂鬱なのは、この後の取調べだ。今日は訓練には参加せず調査委員からの詰問を受ける一日になるのだと、昨日病院で聞かされている。CGによる精巧な似顔絵の作成し、輪郭や顔の一部が合致する顔を検索し、見つからなければ自分の目で確かめるしかない。世界中に登録されている異能者の写真を眺め続けなければならないのかと眩暈のする思いだ。異能のおかげで動体視力も強化されてはいるが、正直、西洋人の顔の区別が付かなかった。
 相手を絞り込むことを出来はするが、整形や変装をしている可能性も鑑みて全ての写真を見せられる。同じことをさせられる城之崎や星名も大変だろうし、あるいは全てが無駄になる事もある。
 最悪の場合、ベラドンナがどこの国にも登録されていない能力者という可能性の方が高い。軍隊や学生部隊からドロップアウトして犯罪者になるケースもあるが、大半が未登録の者だ。
 また、同じ内容の質問を別の人間から何度もされる取調べも堪らなく嫌だった。言質の統一を計られているのだろうが、後ろめたい事が何も無いにも関わらず、試されるというだけで日向は緊張を覚えてしまっている。
 ため息を吐き、今日の予定を告げる教員から目を逸らす。
 ふと廊下の方へ視線を巡らすと、真白い髪が揺れていた。
 吸い寄せられるように、廊下を歩く彼女の横顔を見つめる。
 教員の後ろを歩き、隣の非戦闘構成員のクラスへ向かう星名ほのか。差し込んだ日の光りに照らされ、透き通った肌の輪郭をぼやけさせ、空気に溶けてしまいそうな危うさがある。
 緊張しているのか余裕の無い強張った顔と、部品の欠けた機械のように拍子外れを刻む歩み。
 神秘的な光景を纏いながら、初めてお使いに出かける子供のような表情。彼女のアンバランスさに思わず笑みが零れる。
 日向が星名を見ていると、星名の黒目がちの大きな瞳が日向のほうへと向いた。こちらに気づいた星名に向かって、日向は軽く手を振る。途端、星名が教室の窓ガラスに張り付き、日向を指差し叫んだ。
「ああっー! あーっ! あーっ!」
 顔を背け他人の振りをした。
「ひ、ひ、ひな、ひななたさん!」
 名前呼びやがったよ、あの女。しかも噛んでるし。
「こらっ! 何してる!」
 予定を告げていた教員が星名を嗜める。怒られた為に星名は一瞬体を強張らせ、軽く頭を下げ「すみません」と口が動いた。星名が日向のほうをチラリと目だけで見たので、日向は呆れた顔を返した。星名の前を歩いていた教員が一言二言話しかけ、二人は隣のクラスへと歩いていく。
 クラス中が僅かな笑いに包まれ、居心地の悪い思いをしていると、隣の席のクラスメイトに声をかけられた。
「おい、ひななた、誰だよあの子」 
「はい、ひななた君です。あの子は転校生です」
 ぶっきらぼうに言い、不貞腐れた顔で前を向くと、巳荻百花が底意地の悪そうな顔で日向を見ながら笑っている。気まずさから横を向くと、城之崎大地が視界に入った。城之崎は日向を笑うわけでもなく、ただ星名が通り過ぎた廊下を静かに睨みつけていた。


■    ■    ■


「おつかれさまです日向さん。今日はこのまま帰っていいですよ」
 夕陽の差し込む職員室で、教員の仄草笑由が今日の取り調べの終了を告げた。
「今日は、ってやっぱ明日もあるんスよね?」
「まあ、後は写真を眺めるだけですから。簡単なものでしょ?」
 分け隔てなく生徒に優しく、柔和な笑顔に落ち着いた物腰。誰からの相談も親身に聞き、常に生徒に囲まれている。年齢は四十手前を迎え、丸々と出てきた腹にスーツを合わせるのが大変そうだった。
「ダルいッス。メンドいッス。体動かしてた方が楽ッス。ってか、写真見るの無駄に終わる可能性のほうが高いッス」
「そう言わないでください。僕だって日向さんの一日を無駄にはしたくないんですが、一応決まりですから。あと、君はまだ安静にしていてくださいね」
「大げさなんスよね、大体。こっちは大丈夫だってのに、何日も休んでらんないッス」
「でも、お母さん心配していましたよ。昨日も電話を入れたら飛んできてくれたじゃないですか」
 果たして、昨日病院で母が見せた憂慮は、純粋に息子に対するものだったか思案する。落ち着かない瞳。ぎこちない会話。自分から見舞いに来て、早く帰りたいとでも言うように時計ばかりを見ていた。
「ん、ああ、そうスね。……じゃあ俺、帰ります」
「はい、気をつけて」
 燻ぶった心持で職員室の扉を開く。暖房の効いた空間から一歩踏み出すと、刺すような冷気が全身に走る。足取りは重く、余計なことを考えられる時間が疎ましかった。
 少し歩いたところで、目立った白髪を見つける。
 星名ほのかと他の女生徒数人で話しているが、用事があるのか星名だけが別れ、職員室のある日向の方向へと歩いてきた。
 くりくりと大きな瞳が日向を見つけ、日向も見つめ返し、回れ右で日向は逃げだした。
「えっ!? どうしてっ! 日向さんっ!」
「人違いです!」←裏声
「違いません!」
 数メートル走り、人通りの少ない廊下の突き当たりで立ち止まり振り返った。星名が小走りに近づき、怒った様に睨みあげてくる。
「どうして逃げるんですか! 酷いじゃないですか、もう」
「どうして叫ぶんですか。恥ずかしいじゃないですか、もう」
 心なしか星名の距離が近い。どうにも、彼女は人と接する時に傍による癖があるようだ。透き通るような白い肌に、上気した桜色の頬がふくれている。
「朝といい、なんで俺を見つけると叫んだりするだよ」
「それは……日向さんを見つけて驚いたというか……」
「こっちの方が驚いたって。昨日の今日で転入だもんな」
「はい、本当に急な話でビックリしましたよ。制服と生徒手帳くらいしか渡されてなくて……」
「ホント慌しいな。それで、初日のここはどうだった? やっていけそ? イジメられて無い?」
「イジメとか無いですよぉ。みんな優しい子ばかりで、さっきも学校の中を案内してもらってたんですよ。でも、えっと、戦う人……戦闘構成員のクラスの人はちょっと怖いかなって。……あ、日向さんは怖いわけじゃないですよ」
「いいって。でも、確かに荒っぽい奴多いけどさ、悪い奴らじゃないから、喋ってみれば意外と普通だぜ?」
 異能に目覚め喜ぶものも居るが、星名が異能者とクリーチャーの戦いを望んでいるとは思えなかった。
 以前居た学校などの事も聞こうかと考えるが、星名の場合は異能者と判明してから急に転校してきたケースだ。未だ世間では異能者に対する偏見の目というものもある。僅か二日の間に、彼女の周囲が手の平を返した可能性もある。なにも聞かない方が無難だろう。
「クラスの子達は、戦闘クラスの人たちを怖がってますけど、そうですよね、あんまり喋らないから、そう思っちゃうだけですよね」 
 星名は、喋る時に身振りと手振りが多い。髪先を指で挟み、両手を合わせ、手を開き、閉じ、一瞬視線を下へ向け、またこちらを見る。自然と、星名に視線が吸い込まれていることに気がつき、思わず顔を逸らした。
「そういや、一昨日のことだけど体のほうは大丈夫だった?」
 逸らしたはずの顔が、視線だけ星名に吸い込まれた。
「はい、日向さんのおかげで怪我というほどのものもありませんでしたし、あの時は本当にありがとうございました」
 薄暗い部屋に差し込む柔らかな光のような微笑に、急速に胸が締め付けられる。
 ベラドンナにトドメを刺される寸前、日向は星名を見つけない方が良かったと後悔したことを恥じていた。
「日向さんのほうこそ怪我は大丈夫なんですか? てっきり、まだ病院とかに居るのかなって思ってたら、普通に学校来てますし」
 一昨日も言ったとおり体は頑丈に出来ていると日向は説明したあと、なぜ星名は職員室の方へ歩いてきたのかと聞いた。
「あ、私、これから転入の手続きがまだ残ってるので職員室にいって、それから寮への引越しがあるんですよ」
 引越しなら手伝おうか、という日向の提案に、星名は「荷物が少ないから大丈夫ですよ」と断りを入れた。
 用事がある星名を、これ以上引き止めても悪い。職員室へ行くことを促すと、星名は笑顔で手を振り廊下を歩いていった。
「メアドをゲットしたいです、先生」
 こっそり呟いた。
「呼びました? ところで、こんなところでどうしたんです? 日向さん」
 星名と入れ替わるように仄草教諭が廊下の角から歩いてきた。恰幅のいい体つきとは裏腹に、しなやかな足運びは軍人時代に培ったものだろう。
「どうしたもこうしたも、監視してたでしょ?」
「ああ、バレてましたか」
「移動したらこんなとこまで着いて来る奴いましたし。まさか普通に喋ってただけで、報告されてるとは思いませんでしたけど」
「一応、監視が初めての子でしたから特訓の意味も込めて色々させているんですよ」
「だからって学校内でやら無くても」
 呆れる日向に仄草も苦笑を返した。
 征軍や学生部隊は、クリーチャーと戦うだけではない。異能犯罪者や反乱分子を抑えるためにも、対人特化の専門部隊も存在している。
「それで、星名さんには発信機とか付けてないんスか」
「う~ん、そこまで大げさにしなくてもいいでしょう。監視の子だけでも何とかなりますよ」
 朗らかに笑う仄草教諭とは正反対に、日向は不安を隠しきれなかった。
 星名はベラドンナという異能犯罪者に狙われている。もう少し警戒するべきではないだろうかという焦燥感もあるが、結局、日向は大人が下した結論に従おうと決めた。


 仄草教諭と別れて、しばらく廊下を歩いていた。
 怪我と調査のため、訓練の無い日向は放課後に何をしようかと思案する。重たく頭に圧し掛かるのは、一度家に帰らなくてはならないと言うこと。
 昨日、病院で母から顔を見せろと言われたのだ。年末年始の冬期休暇にも家に帰らなければならないのだから、別に今帰る必要は無いのではないだろうかと言い訳をしようと思うが、心配をかけたのは事実だ。
 白いため息を吐きながら背中を丸めて歩いていると、携帯電話が着信を告げ、ろくに名前も見ずに電話に出る。
「もうかけてこないで!! アタシ、あなたのこと忘れて幸せになりたいのッ!!」
「え? え? 日向だよね?」
「ああ巳荻か。どうした」
「お前がどうした!! ヤバイ薬でもキメてんのか!」
「俺らが言うとシャレになってないな」
 割と多い。
 叫んだ事で周りの視線が刺さっているような気がするが、日向は黙殺した。
 巳荻に電話をかけてきた理由を聞くと、週末の予定を聞かれる。
「日向さ、今度の土曜は非番でしょ。暇だよね? 暇のはずだよ。でさ、日向の快気祝いってヤツで、みんなして遊びにいこうと思うんだけど。どうかな?」
 自分のためを思って誘ってくれた、なんて額面通り受け取るな? 遊びまわる口実が欲しいだけだ、と巳荻の口調が愉快気に語る。騒がしく賑やかな場所を好む巳荻のことだ、こちらが疲れ果てても引っ張りまわす気だろう。
 呆れながら聞くが、正直乗り気にはれない。友人達と出かけることに、楽しさを見出すことが出来辛かった。
「そうか、なら俺、釣りがしたいな。池で静かに釣り糸垂らして、ゆっくりするのも楽しそうだし」
「……いや、遊園地に行こう!! みんなに遊園地行くって言っちゃったし。悪いね日向!」
(一瞬心が揺らぎやがった……んー、あいつの好みがよくわからん)
「あのさ、それでさ、星名さんいるじゃん? 歓迎会の意味も込めて誘おうと思うんだけど」
「分かった、俺が伝えるよ」
 考えるよりも早く、言葉が出ていたことに驚く。
 瞬間、巳荻が笑いを堪えている声が聞こえ、顔の温度だけが異常に高くなる。
「あ、ふーん、へー。どうせ彼女、寮に来る予定だったからさ、挨拶がてらに誘おうと思ってたんだけどなぁ。いいよいいよ~日向が誘いな~」
「さっき会ったばっかで居場所知ってたからな。詳しい事はまたメールでもくれッ。じゃあな」
 返事を待たずに通話を切り、息を吐く。
 恥ずかしさのあまり携帯電話を睨みつけるが、言ってしまったものは仕方が無い。息をつき、星名に会うために「仕方ない」と呟いてから職員室への道を引き返す。
 足取りが、ため息一つ分だけ軽くなっていることに苦笑した。


■    ■    ■


 風を切り裂く音が空から聞こえる。見上げてみれば、閑静な住宅街の上空を自衛隊のヘリが連なって飛んでいた。山での演習を終えて基地に帰るのだろう。
 ヘリが帰ってくる方向から、夕陽を隠した分厚い雲がかかり始めていた。深夜から早朝にかけて雨が降るのだという。雪にならないことが少し残念なようにも思う。目には見えない自然が生み出した直線。結晶体のような定まった姿に、少しの憧れを持っていた。
 マフラーを指で掴み、冷え切った口と頬を覆い隠すために引き上げ、学校から実家への道を重い足取りで進む。突き当りに見える網目状のフェンスから、空き地を挟んで二階建ての実家が見えていた。
 結局、金曜日になるまで実家へ帰ることを引き伸ばしてしまった。
 星名に土曜日の休日、遊園地に行くことを誘うと二つ返事で了解を得ることが出来た。誘った後に、浮かれた気分で普通に寮へ戻ってから一度実家へ帰るように母から言われていたことを思い出した。
 通常、戦闘が起こったとしても学生部隊は後方支援に従事するため負傷する事が少ない。だが、日向悠生は怪我を負い、随分と家族を不安がらせてしまった。
 病院で心配していた母の姿が思い起こされる。本当に、ただ純粋に息子の容態を気にかけていただけだろうか。これ以上父のことを押し付けられるのが嫌だったのではないのだろうか。
 逃げ出した自分が、都合よく疑うことで満足感を得ていることにも日向は嫌気が差していた。
 その後ろめたさから、陰気臭い家に帰る事が堪らなく不快だ。
 だが完全に頭から切り離すことも出来ず、また土曜に仲間たちと遊びに行く前に、この嫌な気持ちに整理をつけてしまいたかった。
 気が付けば家の前まで来ていた。思わずチャイムを鳴らそうかと指が上がりかけたところで、慌てて手を下ろす。門を潜り、そのまま玄関を開け放し、日向は「ただいま」と声をかけた。


"どうだ、悠。ここが新しい家だぞ"
 小学生のころ、以前住んでいたアパートから新築の一軒家に引越しをすることになった。両親から伝えられた引越しの一言に、これまで仲の良かった友人たちと別れなくてはならないことや、知らない土地への不安が沸き起こった。だが、引越し先は同じ地区で、日向は不安から来る緊張から開放された。丁度そのころ、日向が通学していた小学校を挟んで反対側の地区になる。そのため、新居が完成したから見に行こうと両親から言われた時も、日向は安閑としてやってきていた。
 誇らしげに新居を見上げる父を、まだ背の低い日向は眺めていた。自分が何をしたわけでもないが、笑顔で新居を眺める父を見ていると、こちらまで何かを成し遂げた誇らしい気分になってくる。
 何も心配など要らなかった時代。何も求められることが無かった時代。ただ、真新しいフローリングに足を乗せるだけで胸が弾んだ。


 フラッシュバックする幼い記憶は、他人の家に上がりこんだ時のような生活臭にかき消される。
 冷え冷えとした廊下の奥、台所へと通じる扉から母が顔を出した。
「あら、おかえりなさい」
 もう一度「ただいま」と言い、リビングへ向かう。
「母さん、この間、さ、大変だっただろ? そういえば、ちゃんと避難できてた?」
 用意してきた言葉を伝える。病院で会った時には、久しぶりに会ったというのにも関わらず、まともに顔を見ることが出来なかった。そして、こんな当たり前の会話すらも交わしていない。
 今週末に起こったクリーチャー襲撃は、この地域に降りかかったものだ。クリーチャーの出現が確認された地区から、数キロ範囲が避難区域、警戒区域となる。日向の家はクリーチャーが出現した箇所から少し外れた地区にあり、普通なら問題なく避難できているだろう。
(普通なら避難できてても、心配するのが家族の形だよな? それに、ウチは父さんがいるし)
 リビングのソファに座り、吹き抜けから台所で茶を淹れる母を眺める。この家に住んでいたころは、勝手に冷蔵庫からジュースを取り出し飲んでいたはずだ。
「ええ、お父さん大人しくしてくれたから大丈夫だったわよ。それより、悠はもう訓練に出てるの?」
「出てたら、こんな時間に帰ってこれないって。来週の頭からだよ」
 テーブルに乗せられた籠からミカンを掴み皮を剥いていると、母が盆から茶をテーブルへ置いた。来客用の湯飲み。それしかないのだから当然だ。
 母が向かいのソファに腰掛ける。正面から母を見るのが、とても久しぶりのように感じる。こうしてみると、日向が家にいたときよりも随分とやつれていた。
 昔の母は少し太っており、日向が小学生の頃はテレビでダイエットの特集が組まれていると録画までしていた。布団の上で寝そべり、下半身を持ち上げ、自転車を漕ぐ様に足を泳がせていた。一日二日は続いても三日目になるとお菓子ばかり食べ、「痩せたいわ」とぼやく。「じゃあ、お菓子禁止」と父が言うと、「それは無理」と母に言い返され、隣に居た日向はいつも笑顔だった。
 学校での出来事を話していると、随分と悲しそうな顔をされてしまっていた。
 自分が異能者だと判明した時、自衛隊学校のパンフレットを片手に浮かれた調子で家へと戻った。
 父のことで、家では暗い話題ばかりだった。それまで働いた事もない母が仕事に出た。大学を出ていないことや、何の資格も持っていない母に、まともな仕事が見つかる訳も無く、少ない稼ぎでこれまでやりくりしていた。自分も大学は諦めて、高校を卒業したら働きに出なくてはならない。そんな時、日向が異能に目覚めたのは幸運以外の何ものでもないと感じられた。
 共に喜んでもらえるものと思っていた。
 選ばれた自分。才能。人類を守り抜く盾。高給取り。これから全てが上手く行くと思っていた。
 学校側から既に連絡を受けていた母に、「結構きついけど、征伐自衛隊なら給料も良いだろ。なんたって、命懸けてるわけだし。これから楽をさしてあげられる」矢継ぎ早に話す日向の姿に、母はただ悲しそうな顔をしていた。
 そんな母が見ていられず、父の側にも居たくなかった日向は逃げるように寮へ入ることを告げた。自分は他人とは違うのだからこんな所にいたってしょうがない、と言った覚えもある。
 それから今現在に至るまで、家族と話すのがとても居心地の悪いものになってしまった。
 今も、何を話すにしても途切れがちになってしまう。
 しばらく静かにミカンを食べながら、何か話すことは無いかと必死に記憶を手繰り寄せて、一つ思い至った。
「そうだ、この間さ、同じ学年に転校生が来たんだ。今週の、俺達が出てたときにさ、巻き込まれちゃった子なんだけど、その時、検査受けて、そんで、異能者だって分かったんだ」
「……そう、可哀想ね」
「え、あ、どうして?」
「だってその子、今年の健康診断はパスしたんでしょ? だったら、この間に巻き込まれなかったら来年の4月まで大丈夫だったのにね」
「でもさ、その子は結構楽しそうにしてるよ。友達も出来たって言ってたし。非戦のクラスだし、さ。危険な事も、無いし」
 それきり黙りこみ、重苦しい空気に息がつまりそうになる。
 抑揚の無い声で寮へ帰ることを告げ、リビングを出た。
 見送りは無かった。


"悠! 釣りだ! 池に釣りしに行くぞ!"
"二人ともー。気をつけて行ってらっしゃーい! あんまり自転車でとばさないのよー!"


 廊下を歩き、玄関の手前で折れる。目の前の扉へ二度ノックをし、重たいノブを回す。
 締め切られたカーテン。低く唸る空調。蛍光灯の嘘くさい光り。撒き散らされた積み木。転がる車輪。カーペットの上を行き来するミニカー。効き過ぎたヒーターの、むせ返るような不快感。その中で一際不快な、中年男性独特の加齢臭が鼻を突いた。
「ただいま、父さん」
 数ヶ月ぶりの父の顔は、以前と何も変わっていない。
「ぶー、ぶー、あー」
 父は息子を見ずに、淀んだ瞳で玩具を弄っている。
(こんな場所には、居たくない)
 日向の父がクリーチャーに襲われた時から始まった、新しい家庭の形。
 すえた臭いの小さな部屋から、少年は逃げ出す事しか出来なかった。


■    ■    ■


 商店街の近く、寮へと続く帰り道。自分がどうやってここまで歩いて来たのか思い出せない。ただ足が動くままに移動をしていた。
 気の早いクリスマスのイルミネーションが、ちらちらと目に眩しい。
 早くベットに体を預け、意識を溶かしてしまいたい。
 ふと、雑踏の中からこちらを見つめる視線を感じた。
「あれ? 日向ー。おーい」
 巳荻百花がこちらに向かって手を振り近づいてくる。周りには女生徒が数人居り、その中には星名ほのかの姿もあった。
「おっまえさー。訓練無いからって遊び回ってんじゃないよー。来週から復帰するんでしょ。そんなんじゃついていけなくて、しんどいぞー」
「別に遊びまわってないって。家に寄ってただけだよ」
「ああそっか、近いんだっけ」
「そっちこそ、こんな時間に商店街に居るって事は、まさかサボったのか?」
 そんな恐ろしい事が良くできたものだ。サボりがバレた途端、学生部隊は死を覚悟する。いや、理解する。
 どこの自衛隊でも居る様な鬼教官というものが付属学校にも棲んでいる。
 鬼教官は脳まで筋肉で出来上がっていそうな強靭な体と、2メートル近い長身だ。丸刈りで、見るからに袁人類が間違って言葉覚えちゃいました的な顔面凶器を持っている。年中ジャージとTシャツ一枚。腕には生活指導と書かれた腕章を巻いた姿の教官殿は、本当は教員なのだが、学生達からは畏怖を込めて教官と呼ばれている。
 そして訓練をサボったことや、点呼に間に合わなかった場合は教官殿直々に補習を行っていただけるようになっている。
 補習の内容はスパーリング。体育館上に設置されたリングの上で、拳のみの指導を受ける。まず勝てない。岩のような拳が豪速で迫り、掠っただけでも脳震盪を引き起こした。キレた日向は、以前補習スパーリングの最中に異核兵装を取り出し、殺す気で斬りかかった。きちんと、"討つ"という概念も纏わりつかせていた。しかし難なく避けられ、手から剣を弾かれた。手の甲が折れたと錯覚した。
 以降も殴りかかるも全て殴り返され、18時間に及ぶスパーリングが続けられる頃には、朝日が昇っていた。
 膝が完全に笑っていた日向だったが、何度倒されても立ち上がった。十秒ダウンしていくごとに、補習が1時間延びるのだ。
 朦朧と立つ日向だが、ここで意識を手放すわけはにはいかない。意識を失い眠ってしまえば、後に待っているのは鬼教官殿との密着指導強化週間だ。顔面ゴリラと一日中顔をつき合せ、寝食と風呂を共にし、夜通し補習が入る。
 そして遂に午前8時、スパーリングが終わりを告げた。最後まで立っていた日向だったが、立っているだけで限界だった。しかし、鬼教官殿はその程度で許しを与えることは無かった。
 ボロ雑巾同然の日向に近寄り、抱きしめたのだ。
 先程まで動き回ったため体温が高く、やたら気持ち悪い。そして鬼教官殿は涙もろい。抱きしめたまま泣き叫ぶのだ。よくがんばった、と。涙と鼻水が頬に張り付くがもう抵抗する余力はない。
 そして、日向が入学してから彼に起こった出来事を振り返る。長距離走で出たタイム、食事の量が少なかった日の嫌な出来事、初めて出撃した後方支援での成果。些細な事を、何気ない日常を、学生生活の全てを賛美した。
 気分は一人卒業式だ。実際卒業させてくれと懇願したかった。熱く語る鬼教官殿に「勘弁してくれファッキンジーザス。もういい離せってんだよクソゴリラ」と心の中で悪態をつく日向だったが、次第に溢れてくる涙を堪えきる事は出来なかった。
 自分という一人の人間を認め、全生徒を常に見守る人外に対して弱さを隠し切ることなど、出来はしなかった。
「センセぇ、俺が、うっ、俺が間違ってばじだぁ!!」
「いいんだ!! 間違えたっていいんだよ日向!! 間違ったことを間違ったまま受け入れることが間違いなんだうおおおおおぉおおおおん!!」
 リング中央で抱き合い、声を上げながらむせび泣く鬼教官と遅刻少年。
 その姿に、クラス全員が泣いた。
 帰ることは許されていなかった。帰ろうとした瞬間、即ゴングだ。
 長身黒髪美少女の巳荻も男泣きだった。
 その日の訓練では、いつもより殺気立った、いや、活気のある戦闘クラスに非戦クラスはビビりまくり、両クラスの溝をさらに深めていった。
 思い出した途端、震える腕を押さえつけていると巳荻が呆れた声を挙げた。
「いや、あんたじゃないからサボったりしないって」
「じゃあ、なんでこんなところに居るんだよ?」
 学生部隊、というよりも、異能者として管理されている立場では外出許可が必要なため、サボタージュ等は出来ないことをお互いよく知っている。それを踏まえた上で巳荻は学生らしい会話を楽しんでいるようだった。
 以前に巳荻は「普通の制服で出かけられないのが、ちょっと残念かな」と言っていた。誰も自分が学生部隊、異能者である事を知ってほしいなどとは思わない。昔は常に、制服の着用かプレートを首から下げ異能者である事を知らせなければなかなかったのだが、現在は規則がある程度緩くなっているため、巳荻を含む女子は全員私服だった。
「ふふん。知りたい? でも教えてあげない。いい? 女の子にはね、男の子の知らない秘密が沢山あるの」
 その一言で全てを理解し、日向は己を恥じた。
「ご、ゴメン巳荻。軽々しく、そんな、なんか、聞いたりして。……じゃあ、余計こんなところ出歩いてる場合じゃないだろ! 寮に戻ってないと! 横になってろよ。腹巻とか猫とか持ってるか? とりあえず、お腹温かくしてないと。なんか足りないものあったら俺が買ってくるって。ちなみにお前は入れるのか履くのか、どっち派だよ!」
「ごっめん、流石に退くわソレ」
 並外れたお世話だったようだ。
 見れば、周りに居る女生徒達が脅えてしまっていた。天使、いや、星名だけが「日向君優しいね」などと血迷った事を言いながら、えんじぇうスマイルを向けている。
 女生徒たちは非戦クラスの子ばかりのようだった。それもそうだ、可愛い子ばかりが揃っている。戦闘クラスの女子など、巳荻を除けば全員が淑女の嗜みなどドブに捨てた漢ばかりである。可愛らしい女子を前に、うっかり下ネタを飛ばしたことに眩暈の訪れる絶望を覚えた。
 戦闘構成員と非戦闘構成員とは隔たりがあるが、巳荻は非戦闘構成員とも仲がいいようだ。非戦クラスのことを快く思ってないようだったが、喧嘩がしたいわけではないと言っていたことを思い出した。
「今日は、お洋服とか、日用品のお買い物を一緒にしていたの」
 星名が一歩近づき、甘い匂いが鼻先を掠める。
「明日ね、みんなで遊びに行くから今日のうちにって思って」
「えーそうなんだー☆ どんなお洋服買ったの~。日向気になるー。見せて見せてー☆」などと言うわけはなかったが、少し興味があった。
 星名の手元を見てみれば、洋服店の袋が目に入る。以前テレビで見た、小学生に人気のブランドとして紹介されていたロゴが入っていた。
 背の低い星名を見下ろし、呆れた顔で巳荻を見る。
「あー、私は帰りに星名さん見かけて、ついて来ちゃったって感じ」
 サイズ無かったんだよ空気読めよお前、と言いたげな顔で巳荻の眉がピクピクと動いた。
「とっりあえずさー、夕食の点呼に遅れちゃいけないし、そろそろ帰ろっか。また誰かさんみたいに教官の指導受けたくないし」
「ああ……そう、だな。急いで帰ろう」
 頬を熱いものが零れそうになるのを、息を止めて押し留める。
 寮への道を歩き出しながら巳荻の話を聞いていると、今歩いている女生徒たちが一緒に遊びに行く子たちなのだという。
 女生徒達の後ろを誰かと話すわけでもなく歩いていると、気がつけば星名が横に居た。
「明日、楽しみだね。私、魚柿町の遊園地行った事ないから、すごくワクワクしてるの」
 魚柿町はここから二駅離れた町になる。向かう先の遊園地は全国的に有名なわけでもないが、ある程度絶叫マシンが揃っていることと、近隣にテーマパークが無いことから終日賑わいを見せている。
「あのね、夕方少し曇ってたけど、ちゃんと晴れるよね? うぅん、てるてる坊主作ったほうがいいのかな」
「てるてる坊主は要らないと思うよ。雨は降るみたいだけど、深夜から早朝って言ってた」
「そうなんだ、よかった」
 胸のつかえが下りたように星名が微笑むのだが、何故か急に、真顔で日向を見つめだした。
「……日向君。こんなこと言うのも変なんだけど、何か、辛い事でもあったの?」
「いきなりだな。別に、なんとも無いけど? ホント星名さん変だぞ」
「でも、なんだか疲れた顔してるみたいだから」
 ごめんなさいと謝る星名は、まだどこか納得の言っていない表情に見えた。
 確かに胸中ではざわついている。今にも叫びだしてしまいたいくらいだ。どんな事を話していようが、頭にこびり付いた父の顔が、声が、臭いが、幼児のような仕草が、体中の力を根こそぎ奪っていく。
 必死に影を拭い去ろうと、明日の予定に思いを馳せた。
 今は、この安らげる時間があれば、それでいいと。

あきねずみ

Author:あきねずみ

セルフ 貴子同盟

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