鼠の騙し討ち

太刀打できますん

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終始規範に基づく徹底的な説教地獄に、不覚にも妊娠しますた。

StarTRainをコンプしたので感想をば。
荒削りながらも、テーマがしっかりしている作品。
テーマがしっかりしているとは言うものの、そのテーマがオタ心情に悖るもので、依存属性と破滅思想を持つ亡きゲー(誤字に非ず)大好き悲劇主義には耳の痛い話を押し付けてくるような感じ。
押し付けというか、まんま説教の域に達しており、可愛い女の子に叱られたい、みたいなMっ気ありありな人には堪らないかもしれませんが、最後の方はヒロインというよりもシナリオライターがヒロインを媒体とせず直接正座で指導してくださいます。こちらも正座で挑まねばならないような気分にさせられ、なんだか押し切られたような感じ。
それがいいかどうかは各自の判断。しかし、テーマばかりに目が行きがちなのですが、そのテーマを伝えるためのゲーム全体のデザインが巧妙に作られていて、さらっと流すだけのプレイが惜しい作品。


このゲーム、「はーど純愛ADV」と銘打っているだけに、甘いだけではなく、時に辛く苦しい恋愛、を描いている事から、痛みを伴う恋愛を表に出しているため様々な感想を読んでいると、感情移入できたという人は、学生生活を思い出したり、学生ならではのリアリティーがあってのめりこんだなど、逆に感情移入できなかったという人は、対象年齢が低く、18歳以上が見るには少々辛いものがあった、等々。しかし、このゲームが伝えたかったのは、あの「銀河鉄道の夜」のジョバンニが捜し求めた「本当の幸いとは何か」、ただそれのみ。リアリティーなんてものは飾りなのです。エロイ人にはそれがわからんのです。
筋書きだとか、理屈にかなったとか、どうでもいいんです。そんなもん、人生って奴を馬鹿にしてやがる。ファッキン。
伝えたいだろう核となる部分を取り出して愛でる、それでいいんです。それしか楽しみがないt(ry
まあ、楽しみ方は人それぞれですかそうですか。

では、以下ネタバレで。
・プロローグ

なあなあで付き合い始めたツカサと奈美が、初めてのセックスなどで互いの心の距離が浮き彫りになったところで、ツカサが自分のことを本当に好きになってもらおうとし、そのまま付き合っていればいいものを、本当に好きな相手から逃げるような関係では奈美が幸せになれるのだろうかと疑問を持つことからツカサから別れを告げるという流れ。

ここでツカサが奈美を本気で振り向かせようとすれば、この話も変わっていくのでしょうけれど、しかしそれが奈美を本当に幸せにする道なのか。
この二人の関係自体が序盤のアンチテーゼになっているので、惰性に身を任せるような退廃的なものを排除し青臭い理屈で「本当の幸い」を願うしかないのか。
好きなものがあるのだから、それに目を逸らさず向かっていけと言うツカサ自身がその大切なものを失ったとき、そのなくしてしまった幸せに対してどう向き合っていくのか。

このプロローグでヒロインを包み込む(突き放していますが)強さを見せた主人公がこのあと辿るのは、自分にとっての「本当の幸い」とは何か。
他人にとっての幸いを願うのと同時に、自分にとっての幸いを失くすプロローグの終盤が、カナデの告白、というのも象徴的、というか彼女自体がこの作品のキーパーソンなので、全て終えてから彼女との一連のやりとりを逐一追いかけてみるのもおもしろいなと。

そして各ヒロインのルートへと繋がるのですが、ヒロイン自体がツカサを写し出す像として機能しているので、ヒロインの問題が終わればツカサ自身の問題も閉じてしまう。ヒロイン上位とでも言いますか、ヒロインがハッピーエンドを迎えた隣に、ちょっと主人公がいる、みたいな。
しかし、そのための七美ルート。そこへ繋がるための布石が結構長々としていて、初めはこれで大丈夫なのかと心配すらしましたが、コンプ後はこれでいいのだと。読み返すごと、思い返すごと良く出来た全体像です。



・カナデ

これまでのプロローグでは奈美に対してほどよい着眼点で彼女の幸せについて考え、明確な答えを出せていたツカサのはずが、カナデルートになるとめっきりその威力を失います。大切なもの意外はあまり見えていない、というマイコの発言は当を得ている。それこそがこの作品にとっての悩み、ですから。主人公を鈍感にしなければ、カナデの話が進まないのではなく、彼自身が抱える闇がそうさせたと。

初回プレイ時には、鈍感すぎる主人公と、本当にゆっくりとしかし少しずつ素直になっていくカナデとの繰り返すやり取りの、ただそれだけの日常を延々と描いたこのシナリオは、正直退屈でつまらなかったものでした。
ダラダラとした心情の吐露ほどイライラするものもないのですが、カナデに心が動いたところに登場する先輩や、ラジオで知ったカナデの本音、などベタだけど萌えるシナリオ。とりあえずはカナデのツンデレっぷりに適度に悶えつつこれを乗り切るしか。

「・・・ツカサなんて、祭りの後に人気のない場所で変な注射打たれて、喉を掻き毟って死んじゃえー!」(うろ覚え。そもそもカナデルートだったかも怪しいセリフ。

メールの縦読みなんかもいじらしくて初々しいカナデが発揮されてて、このゲーム唯一の萌えキャラパワーを思う存分発揮しているかと。
しかし、このシナリオの真価が表れるのはコンプ後。ともすれば無理やりすぎる主人公の不自然な鈍感さ、決定的に動かない主人公、まるで非人間的なまでにカナデに対する目線の逸らし方ですが、この鈍感さが最後までプレイした時に、ハッとさせられる。
それについては後ほど語るとして、まずはカナデシナリオを言い表すとしたら、これは作品の象徴たるシナリオかと。



・アスカ

自分のことを好きにならないと、幸せと思えない。
今日がダメでも、明日はきっと幸せ。
というポジティブな発言を連呼し、ツカサに言い聞かせるのは自分にも言い聞かせていると同時に、幸せを渇望し貪欲に手に入れようとするアスカの姿勢は無気力にただ幸せが訪れるのを待つツカサとは相反するもの。だから、やたらと彼女はツカサを心配するというよりも突っかかってくる。アスカはツカサにとっての他者像ですから、彼女のシナリオは、まるで説教のバーゲンセールだな。(ベジータ談)

彼女は自分のことも嫌いならば、幸せとも思えなかったと叫ばせる。アスカからは幸せそうな生活を送る周りが、その生活自体にたいして幸せとも感じず当たり前のように振る舞い、その当たり前の振る舞いさえ出来ない境遇から周りのことを疎んじる自分も嫌いだと吐露させる。
健全な身体によって心の平静を得ることを強調し、すべての不運やつまらぬ物事に対して上機嫌にふるまうことが幸福とは、一体誰が説いたのか。

そしてアスカにとってのいちばんの不幸は、貧乏から派生する周りとの乖離した生活よりも、おかんに嫌われていることが嫌だったという。しかしその母は、報われない自分の幸せを娘に託していたに過ぎず、結果論ですがアスカは最初から不幸ではなかった。
思い込むほど幸せを求め、その幸せが実は既に手に入るところにあることに気がつく。アスカシナリオはこの作品の指針。
流石にラストの二分論を持ち出した母に対して、説教する主人公にはちょっとどうかなあと。こういった話を直視できるほど若くはなかった。



・ヨモギ

第一印象は優等生タイプの当たり障りのないヒロイン。ツカサとのやり取りを見ていくうちに少し不思議ちゃん属性があることを知り、乙女ぱわぁ全開のメールが来た時に何かがおかしいと嗅ぎ取り、付き合った瞬間にメールで一晩も二晩も潰し、30分以内に返信が無いと電話が来たり、寂しいもの同士傷を舐めあいましょうと提案したり、元彼に二号さんでも構わないといったような文面をプリクラと一緒に送りつけようとしたり、ヒロイン自ら肉体関係を強要し別れた後も体で繋ぎとめようとし、アナル処女を差し出して「うしろの初めて、ツカサきゅんが奪って☆」などといってくる嫉妬深い攻めの姿勢溢れる依存系スッテキーヒロイン。喜んで尿道炎になろうぜ、兄弟。
なんて心地いいダメ具合溢れるヒロインに悶絶死しそうなくらい惚れました。実際居たらウザイんですけどね。

自分が何なのかわからない、何をすればいいのかわからないと悩むヨモギは、自分という存在を、他の人とは違うよう特別なものとして確立してくれるものが、流行のドラマや歌に出てくる大切なものの代名詞である「恋」として定義付ける。
似たもの同士のツカサとヨモギですが、特別な好きでいる人と一緒に居る為に恋をするツカサと、特別な恋をするために好きな人と一緒にいるヨモギは、お互いに埋め合わせの恋をするが、素材は同じはずが目的と手段が決定的に食い違っている者同士、寂しくないはずなのに時々寂しさを感じ、その齟齬が致命的なものと感じ取ったツカサは別れを切り出す。
「流される」「流されない」の選択肢も、この作品の根底に流れるものに沿っており、なかなか好印象。流される人生というのがBADというのはプロローグの奈美とのやりとりでツカサが感じ取った事ですしね。
頑張ろうと思える特別な何かがあるのは羨ましいというヨモギは、幸せが何なのか分からなくて一人で旅に出て、全身ボロボロになって彼女は何処にでも溢れていそうな花畑を美しいと感じる心を見つける。

悩む自分、迷う自分、弱点を弱点と認識した上でとらわれることなく生きること。

これまで悩んでいた描写から、コロっと変わってしまうのは、結局、幸せというのはそれほどありふれているということから。だって恋の歌や恋を謳ったドラマなんて世の中に溢れているじゃないですか。
人生の幸せと自己の確立。理想が高すぎるほど、それを手に入れたときそれにすがり付いてしまいそうですが、幸せの値を低く設ける事で解決している・・・のではなく、段階を踏むことを、絶対の理想とするものをチートを使ってまで手に入れても逃げる事にしか使えない。
何かに頼る事、誰かに頼る事が特別になるということではなく、そこにありのままで存在するものを特別(幸せ)と受け入れる脱依存のお話。ツカサの自己像を投影したこのシナリオは、いうなればツカサにとっての着地点。

あと、マイコが各ヒロインを色で言い表すシーンがありましたが、流石にサービスしすぎだなあと苦笑しましたが、まあ分けわかんなくなるよりいいのか。



・七美

七美とツカサが初対面にも拘らず、出逢ったばかりとは思えない、といっていましたが、どういうことかなと。
顔や声が先輩に似ているのを除けば、恐らく、ツカサが覗いていたブログの「死ぬまでにしたい11のこと」の管理人が七美であったとしたら、ツカサは彼女に対して既知感を覚えているのもありかもしれませんが、七美がツカサに抱いた既知感はどういったものか。
たまたま昼間に町ですれ違っていたのか。ロマンチックな考え方として、七美が言ったように人は樹のように根底でどこかしら繋がっているのか。

幸せは手に入れても逃げていく。そして、失った時のショックは大きく、消えていくような幸せならば無い方がいい。幸せを追い求めれば疲れるというツカサは七美が教えてくれたように、周りが幸せな物としてみようとしたが、何も感じないと言う。それはツカサが七美を通しでしか世界を見ることが出来なかったから、幸せに寄り縋ることで得ていたものが脆くも崩れ去ったところから始まるのが、この作品の真骨頂。
それまでの七美ルートも自分大好き幸福少女の説教アニバーサリーで、楽しいといえば楽しい。正座のし過ぎで足が痺れるほどに。

一年経っても落ち込んでいるツカサは、ツカサがマイコに取ってしまった行動に対するアスカの言葉や、晃ちゃんの過去の話などの周囲から、本当に幸せな人間はなかなかいない自分だけが不幸だと思ったら間違いだと突きつけられる。
しかし、ツカサにはまだ周囲の声が届かず、周囲の好意を疎ましく感じ、そう感じている自分も嫌になる。
そんな彼が逃げ込むのは、夢のような幸せを与えてくれた七美。
夢のようなものに逃げ込んで依存するツカサですが、彼は既に七美がどういったものに幸せを感じるかを知っており、
銀河鉄道に乗る七美との会話で、幸せは、手に入れるものじゃなくて、感じるものと七美は言う。その際、周りにもっと甘えてみてはどうかという。それは「幸い」が自分の目で見る、自分の周りにあるかも知れないものだから。
繋がりこそが幸い、と。


「幸せってね、気付かないところに、いっぱい溢れているものだよ??」
(羽田七美)



「さあ、切符をしつかり持つておいで。お前はもう夢の鐵道の中でなしに本當の世界の火やはげしい波の中を大股にまつすぐに歩いて行かなければいけない。」

「お前は夢の中で決心したとほりまつすぐに進んで行くがいい。」
(「銀河鉄道の夜」より)



森先輩や周りが打ち込めるものを見つけているにも関わらず、ツカサは二年たっても結局「何もない」状態。
しかし、それはほんとうに「何もない」状態なのか。
幸せは、目を向けた世界に溢れている。
ツカサにとっての幸せとは特別なものだったのに対し、彼女が教えてくれた幸いとは日常に溢れるもの。
ここに来て「銀河鉄道の夜」を絡めてきたのは素晴らしい。ジョバンニがかかえる「本当の幸いとは」という悩みと、あの丘での夢のような出来事からジョバンニが得たことが上手く消化(昇華)されているのではと。
幸せが特別だからこそ、カナデという日常を象徴した彼女に対して己の関心を向けることができず、カナデルートでは主人公があれほど鈍感な振りをしており、七美ルートでは実はカナデの気持ちに気が付いていたと言わせる。
そしてそれがツカサにとって日常と言う“幸い”に向き合うということ。
カナデシナリオでは、カナデから告白された時、選択肢が出たように“迷い選ばせた”のですが、七美シナリオでは、カナデと言う日常の中にある幸いを、“見つけ感じ取れる”までを描いたものではないかと。
カナデの告白に対し、最後はその回答をプレイヤーに投げかけるように終わりますが、彼女のシナリオだけはクリア後に子供を抱きかかえるCGがあるのも憎い演出。



・・・本当の幸いとは、母の元へ牛乳をもっていくことなのかしらん。


さて、物語の潤滑剤として跳梁跋扈の活躍を見せたマイコもいい味を出していたのではないかと思うのですが、ふと気がついてみると、マイコのキャラというより涼森ちさとさんの演技がよかったのか。智代アフターの河南子といい、はっちゃけたキャラはこの人でなくては、などと思うようになりましたが、ネコかわのノーマもなかなか鷹揚としながらもいい感じで狂気染みた演技で素晴らしかった。

酩酊した頭でここまで書き殴りましたが、なんだろう、すっきりした。やっぱ酒の力ってすげえな。


引用 「銀河鉄道の夜」

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