鼠の騙し討ち

太刀打できますん

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
人生って、ブログの更新より大切なことが沢山あると思いませんか?<挨拶

この時期、朝早くから会場へ向かい、開始の合図と同時に競歩でブースへと喰らいつく皆さんを尻目にジメジメとブログを更新します。
前回の記事で書いたように、今年プレイしたエロゲ・ギャルゲのランキングを作ってみました。プレイした事の無いエロゲを普及させたい、見たいなことを書きましたが、あまりにも有名作ばかりが並んでしまい、どうしようかと。そんな感じで適当に並べてみました。



第十位 つよきす

幼なじみ四人が、馬鹿で馬鹿すぎて愛し過ぎてしょうがない作品。
とにかく日常パートの賑やかで生き生きとした感じが、そのまま個別ルートまで持っていってくれる。「僕と私」だけではなく、サブキャラを含めた「みんな」で囲んでくれ、それが彼と彼女との日常になっていく居心地の良さは、ずっと触れていたいと思うほど。
特筆すべきは、よっぴーシナリオでの最も基本的な防衛機制を解き放つ事で得られるカタルシスは、爽快としか。



第九位 月姫

「秋桜の空に」や「月陽炎」同様、プレイする時期が遅すぎた名作。できればエロゲに馴染み始めた頃にプレイしたかった。
別に古臭いからダメだとか言うつもりは無く、エロゲに対する可能性を知らないままにプレイするのが楽しめるコツかも。
この月姫では、同じ敵、同じ特殊能力でも、一方通行からは見せてくれないエロゲの枝分かれシナリオが、まるで少年漫画を五本分読ませてくれたような満足感を得ることが出来ました。



第八位 群青の空を越えて

つまるところ円経済圏論は、一部支配者層の偏見と都合によって出来上がった情報を植えつけるテレビと言う名の情報支配下から、無自覚の支配下に置かれている人々へ、己の手で情報を取捨選択させるネットへの情報源泉の移行を推し進め自分の足で地に立てるようにしている。その情報多層化の中で、コミュニティの隔絶がされるわけだが、情報量の多さとリンクの数で個が何処までも広がり続け、個が何処までも繋がっていると言う実感を強く持たすわけで、なにも円経済圏論というのは外貨取引のコスト低下によって潜在的な貿易の増加を狙うという(それさえも怪しいものですが)経済利益を見たものではなく、個の独立と自覚を促す事を揶揄したものなのだー。
・・・この程度のネタバレならいいかなと。色々他の方の感想を読んでみて、どうも経済観点のみで円経済圏論を評している人が多いなあと思ったので。この物語上しょうがないとは思うんですがね。
「車輪の国、向日葵の少女」で失敗していた、個人が作っていく社会の在り方が突飛な論理で収拾されていく様はお見事としか。
さて、この群青ですが、戦争ものです。戦争ものの区分けとして、登場人物の内情を映し描いたミクロ視点のものと、大局を左右する戦略を描いたマクロ視点のものとがありますが、この作品はそのバランスが巧く取れているのではないかと。
各ヒロインのシナリオで、戦争を駆け抜ける人々の生き様を、人として最低のギャグを交えつつ描き、一本道シナリオでは決して起こりえない状況からキャラクターの細部・深部を読み込ませ、それをマクロ視点によるフィナーレへと続くシナリオへ持ち越せるという、エロゲの強みが発揮されている作品。



第七位 遥かに仰ぎ、麗しの

シナリオライター二人による完全分業によるものの、ここまで主人公の性格を統一しなかったのは、ライターの特色を全面に出したいがため。エロゲを購入する際にライターで決める人にとっては楽しみ方が広がったと思いますが、そうでない方にとっては別のエロゲをプレイしているのではという戸惑いを与えるものかと。
その点、本校系・分校系という群でライター分けされているので、その群ごとにプレイさせる構成で作品への理解を強めていたかと。
本校系シナリオでは、ストーリー上のおもしろさを、「こなたよりかなたまで」を描いた健速さんテイストで、時に鼻につくナルシズムを交えて描かれており、物語を追いかけるだけでも楽しめる。そういったものがゴロゴロあるとか言うのはこの際抜きにして。
分校系シナリオでは、本校系で描かれていたような物語上の面白味は無くとも、言葉の一欠片に象徴的・観念的な意味合いが含まれるものがあり、読み解いていくほどに快感を得ていける。こういうのを、カタカナで書く“ブンガク”とでもいうのかしらん。よくわからんけど。
その中でも、「僕は薔薇が無くても生きていける」は名言だと思うのですけれど、それに見合った退廃さを栖香シナリオでは見てみたかった。あれもある意味、エロゲ的には退廃したシナリオでしたが。



第六位 パルフェ

ツンデレとは、最初はツンツン後にデレという、ヒロインを攻略、または服従・征服し、その代価として相手の過度な反動による反応によって快楽を得ることのスラングが起源、でしたっけ? 言ってみればRPGの変則的な攻撃を繰り出し、プレイヤー側に捻った考えを出させて倒させる中ボスみたいな勝手な印象があります。
そして時代は流れ、言葉の持つ意味合いも移り変わっていき、今ではツンデレというものは「本心では好意を寄せていながら天邪鬼に接してしまう」という意味で捉えられていることがほとんど。
なぜこのような言葉の意味がすり替わってしまったのかというと、やはり都合がいいからでしょうね。誰しも他人から好んで嫌われたいとは思わないはず。そして周りから白い目で見られるオタク趣味を持っている我々ならばその傾向はより顕著で、屈折した愛憎を一緒くたに考えてしまうことから、現在のツンデレがあるのでは、と寝起きの頭で考えてみます。
それに伴い、ヒロイン像も“素直になれない”部分にのみ特化してしまい、それを端的に表す“子供の我が侭”へとスライドする事から、ツンデレキャラというと幼さが強調されたものになってしまう。
しかし、このパルフェという作品は、そんなツンデレ像とは違ったものを差し出してくれる。主人公を助け、または現実を見させ諭し、低レベルな争いでは自分も不本意ながら混ざっていき、主人公“より”も精神年齢の高いキャラになっている。
これまでの我が侭お姫様然としたツンデレに食傷の方には、このパルフェのヒロインの一角を担う花鳥玲愛は楽しめるものとなる、かもしれない。
プレイした後は、玲愛を俺にください、と声を大にしていってしまうこと請け合いです。



ここまでで力尽きたので、5~1は次回に持ち越し。


コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://wariniawanai.blog75.fc2.com/tb.php/367-63d522b0

あきねずみ

Author:あきねずみ

セルフ 貴子同盟

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。