鼠の騙し討ち

太刀打できますん

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
「沙耶の唄」は、アクションでもサイコホラーでもサスペンスでもSFファンタジーでもなく、純愛ラブロマンスです。
初めはガクブルしながら読んでいましたが、一つ目のバットエンドを見た瞬間、これは純愛だと、そう思いました。
そんなわけで、感想書いていきます。

自分の目が、現実とはかけ離れた悪夢のような景色を映すようになったなら、その悪夢から覚めたいと思うだろう。しかし、その人にとって、それこそが真実なら・・・

主人公匂坂郁紀は、事故で瀕死の状態になるが、最新の技術によって奇跡的に命を取り留めるも、あっぱらぱーになってしまい、目覚めてから目が見えるようになって時、悪夢を見始める。それまで普通に見えていた人や物が、まるで豚の臓物をぶちまけて塗りたくったような幻覚を見続ける。その中で、唯一以前の通りに見えた少女、沙耶と出会い、恋をし、自分の目に普通に映らなくなった友人を殺そうとし、自分の目に普通として映っている者だけを守ろうとする。

所詮人は外見だ、昔の友人でもそれが化け物の姿をとっていたら容赦なくひどい言葉を投げつけることだって出来る、酷い話だ、と感じていたのですけれど、もしかすると、郁紀の症状は、彼の深層心理が誇張され、視覚情報として現れただけに過ぎないのではなのかな、と。


主人公匂坂郁紀は、最初から世界の事が、人間が嫌いなのでは? と思います。
彼は、友人であった津久葉瑶から告白されるも、しかしその場では返事はせず、瑶の告白に関してこう考えている。
彼女の告白を受け入れた方が、四人の関係に摩擦を生むことなく上手くやれるのではないか、と。
普通なら、この四人の関係を崩したくない、と考えるはずでは?
前者、郁紀の考え方では、付き合うことが前提かつネガティブだと思う。ネガティブ、と言うか友人関係でさえ合理的に見ていると言うか。
自分に思い人さえ居らず、ある程度好感を持っているはずの人の告白に対して、そんな迷い方をする時点で彼は人の事が嫌いなのではないかなと。

そして、彼の心が事故や新技術を使った治療の後遺症だかで視覚として表れたとき、嫌悪していたものがその通りに映るようになったのでは?

ちなみに、人以外の建築物や植物まで変なものに見えてしまったのは・・・知らん。そんなモンは知らん。
人間=世界って捉えてんじゃねーの? (うわぁ)
まあ、世界を今の形にしたのは人間ですし、世界を管理し守っているのも人間ですしね。そんなおこがましい事がよく言える、と言った感じですけれど、人間その気になったら地球滅ぼせますしね。自分たちも死ぬからやらないだけで。まあ、滅ぼしている最中ですがね。
そんなニュアンスで彼は普通の世界が汚物のように見えてしまうのでは、と。

そして、その汚物の様な世界で、沙耶だけが、地球侵略(うわぁ)をしに来たにも関わらず、愛する人としか性交する事を選ばなかった純真な沙耶だけが、郁紀の中での普通の人に見えたのかなぁ。

そこで出てくるのが、瑶の姿が郁紀にとって普通に見えるようになったこと。化け物の姿の瑶には容赦の無い言葉を投げかける郁紀ですが、人の姿に見える瑶を傷つける事を躊躇う。けれども、これは、沙耶が肉体だけでなく精神も侵したことによって郁紀にとって価値のある(普通に見える)存在になったのでは?

鈴見父は沙耶によって郁紀と同じ状態になる場面がありますが、郁紀の脳の状態、嫌悪する人間世界が汚物に見える状態は精神的なもので、それが再現されたと言う事は、沙耶は人の心さえも改変できるのでは?
外見がその副産物とまでは言いませんが。
人の心の在り処さえ、沙耶は「学習」してしまったわけですし。

(まあ、そんな記述というか瑶の描写も無かったのでこの感想自体ただの妄想なので気楽に読んでもらえればー)

そんな、無駄に長い前振りの後にようやく言いたかった事に入るわけですよ。


最初のバットエンディング、白い部屋で沙耶を待ち続けるものですが、このエンディングに入るとき、郁紀は沙耶を捨てるかのような選択肢を選ぶわけですけれど、郁紀が沙耶を捨てたのではなく、沙耶が郁紀を愛せていなかったのではないかなぁと。それは鈴見父の変わりようを見た後で唯一心を許した郁紀からの自分を自分として見てくれなくなるような選択をされたら、それは当然、自分が醜い姿に写っていると知れば誰だって好きな人の前には出たくは無いと考えるでしょう。彼女の方こそ、人を(人から見える)外見でしか認識できていなかったのではないかと。
沙耶が郁紀を遠ざけるのも仕方ないのかもしれませんけれど、しかし、それでも彼は沙耶に会いたいと言う。

「そんなこと、僕はぜんぜん気にならないよ。君の声が聞きたい。姿が見たい」
「……僕は、構わなかったんだよ」


郁紀は、沙耶が異形の者として認識していながら、そんな言葉を言えるまでに沙耶のことを愛していたのだと。それは彼が見ていた異常な世界こそが自分の精神世界だとするなら、最初から通常世界での外見など気にしておらず、本当に沙耶の心を愛していたのではないかと。
だから、自分が沙耶の事を本当に愛しているのだと沙耶が分かってくれるまで彼は白い部屋で待っている。

ある意味、私の中での沙耶の唄はここで終わった様なものだと思っていたのですけれど、トゥルーエンドでしてやられました。
タンポポの例えや、それまでの展開から分かってはいたのですけれど、沙耶が世界を自分の子供に作りかえると言う事は・・・

「これからは、ずっと一緒だね、沙耶」




ちなみに、私は最初、様々なサイトで「沙耶の唄と言えばカニバリズム」みたいな文章を見て、この作品を性的倒錯としてカニバリズムを扱っている作品だと思っていたのですけれど、蓋を開けてみればどっこい。ある対象の特徴を自分に取り込むための、類感呪術としての機能を持っているに過ぎず、カニバリズムは肝心なところとは少し違う場所にあるの設定(沙耶の生態はさておき)だと思うのですが、郁紀まで食人に目覚めたのはなぜかなと。
沙耶が食べていたものだから郁紀も人肉を美味しいと感じるようになった・・・のか?
・・・うーん、自分の考えでも、このこじ付けだけは納得できないなぁ。だからって、あやまらへんからな。あやまったりせぇへんからな。

あと、二つ目のバットエンドで耕司が、郁紀を返せ触るな、と沙耶に浴びせかけた言葉も印象的。それ以上に死に掛けた体で郁紀に這っていく沙耶たんの姿に胸キュンでしたにゃ。

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://wariniawanai.blog75.fc2.com/tb.php/289-5b47a637

あきねずみ

Author:あきねずみ

セルフ 貴子同盟

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。