鼠の騙し討ち

太刀打できますん

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
そうだ、アニメ版の感想を書きたかったんだ。
気がついた時には、全ての後悔と無力感を捻り潰す朝の満員電車の中で毎度のことながら腹痛と戦っている状態でした。冷房効きすぎッス。

と言うわけでアニメ版AIRを見た感想でもクダ巻いていきましょう。

昨日の雑記でも書いたように、AIRと言うのは輪廻転生とはまったく逆のテーマで持って構成されていたと思うのです。
しかし、アニメ版はむしろそれをテーマとして描いているような気がしないでもないようなするようなしないような。
最後に出てくる少年少女の会話の中に観鈴と住人を眺めながら、こういったセリフがあるのです。


「なんでもないんだ・・・ちょっと昔のことを思い出していた」


このセリフは原作に出てきてはいないのです。
しかし、これだと少年少女が観鈴と住人と何かしら関わり合いが在るような気にもさせられます。

少年と少女は観鈴と住人とはまったく別のところに立っていなくてはいけない存在のはずなのに、翼人たちにまつわる物語が“終わってしまった”後に居る人の象徴だと思うのですよ。恐竜と人の祖先を辿っていくと同じモノに行き着くかもしれませんが、恐竜と人とでは進化の地続きが無いように。
AIRは、進化(便宜上この単語で)の果てに訪れる滅びの物語と同時に、滅びたとしても新しいモノが現れてくるだけ、と無情に言っているように思うのです。

だとすると、上記のセリフはあってはならないものじゃないかしらん、と。
これでは、少年と少女という“人”の進化の過程に、観鈴という“翼人”が混ざっているようなものです。

だとすると、なぜアニメ版でこのセリフを持ってきたのか。
もしかしたら、AIRに輪廻転生を持ってきたかったのかもしれません。
観鈴と住人に幸せになって欲しいから、あの少年と少女を二人の生まれ変わりだ、と言う人は多いそうで。
アニメ版を作った方も、そう思っていたのかもしれません。
このまま観鈴と住人が報われないままじゃ納得できず、だからこそ、それまで原作に忠実に作っていたのにも拘らず、最後の最後にオリジナルの言葉を残した・・・のかな?

そう都合よく偉そうに考えるとこの作品、というよりキャラクター達は本当に愛されていたのだなぁと。
まあ、私がアニメ版AIRを納得したくてこんなこと考えただけですけれど。

PS2でプレイしたのが数年前。ここに来てようやく、私にとってのAIRがゴールしたんじゃないかなぁ、とか言ってみるっっっ。
でも一つ心残り、というかやってみたいのは、みんなでTV見ながら肩組んで国家(鳥の詩)を歌ってゴールした瞬間、抱き合ってむせび泣きたい。(サッカーの観戦でもするかのようだ

そんなこんなでAIR雑感を終わってみますが、気が向いたら他の事も書くかもしれないしそうでないかも。
その前に、リトルバスターズか。
じゃあ、追いかけ続けましょうかね。鍵っ子として。そして、



「無限の終わりを目指して」


コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://wariniawanai.blog75.fc2.com/tb.php/250-a6d7a09f

あきねずみ

Author:あきねずみ

セルフ 貴子同盟

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。