鼠の騙し討ち

太刀打できますん

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さて、DVDとバスタオルを買ってくるか・・・
いえ、ニコ動画でアニメ版AIRを全話見てしまい、鍵儲の熱と言う熱が体中からスパーキンなわけですよ?

しかし、京アニの作りこみ具合は素晴らしいなと。ナンダあの背景は。ナンダあのキャラクターの動き方は。原作からそのままのBGMと主題歌と相まって、鼻血が止まらな無すぎる。

で、DVDを買う前に叫んでおきたい。叫ばせて欲しい。
ニコ動画で見たので、他の方のこの作品への思いが流れていくわけですけれど・・・・・・
なんかもう、全然わかってねぇ!!

いえ、私だってAIRマスターと言い切れるほどではありませんが、むしろエアマスターでs(ry それにしても勘違いしている人が多すぎる。

一番に言いたいのが、AIRと言う作品は断じて輪廻転生の物語では無い、と言う事。

住人さんがカラスの“そら”になったことから、神奈や柳也や最後の少年少女が観鈴と住人の生まれ変わりと踏んだ人が多いのかしらん。
しかし、住人さんが“そら”になったのは、観鈴を少しでも長く生きながらえさせるため、二人が一緒にいては観鈴の時間がすぐに尽きてしまうと思ったから。観鈴編の“そら”になる直前に神尾の家から出て行ってしまうのはその所為。それでも住人さんは観鈴の傍にいたいと思い帰ってくるわけですけれど、ここで住人さんは、観鈴の傍にいたい、けれど、離れる、ために“そら”になったのでしょう。人間としての生を捨ててでも。
この物語が輪廻転生であるなら住人さんは“そら”にはなってはいけなかったのですよね。そのため“そら”がいる世界にも住人さんが登場する。同じところを回り続けるよりも、観鈴をその先へと“続かせて”あげたかった。

それでも、観鈴が死ぬ定めは変わらないのです。翼人にかけられた呪いは解ける事なんて出来なかったのですよ。
しかし、観鈴が幸せになることで、その呪いを止める事は出来た。1000年もの時間をかけて、翼人が行く事のできなかった“幸せ”に観鈴が到達したからこそ、観鈴は翼人と柳也と裏葉一族の悲しみの運命を続かせることなく“終わらせた”のでしょう。
(生まれ変わりだとするなら、柳也と神奈の声も住人と観鈴と同じ声優にするでしょうし。)

だからこそ、最後のシーンで現れる少年と少女は、観鈴と住人の生まれ“代わり”であってはならない。
新しく生まれた命は、新しい幸せを手に入れる道があるのでしょうから。じゃあ、あの二人一体何者なんだよ、って聞かれたら困りますがw

観鈴と晴子と住人に救いは無いのか、と。ありませんよ、そんなもん。
そこまで残酷な物語だからこそ、ここまで人の気持ちを惹きつけてやまないのがAIRだと思っていたり。

このあたり、智代アフターと似たような感じでしょうかね。


追記 いや、本当に今更感漂いすぎる感想だな・・・


<AIR感想>

アニメ版AIR雑感

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あきねずみ

Author:あきねずみ

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