鼠の騙し討ち

太刀打できますん

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なぜか最近になって、CARNIVALの感想を見かけることが多くなったことと、近所のホームセンターで家族が買い物している間に阿呆の如くブルーベリーを眺めていた事からCARNIVALの所感でも。

あの作品で、最も謎の存在として浮かび上がるのが婦警さん。
様々な感想サイトでも、なんであのキャラが居たのか不明だ、と言う事が書かれていたので自分なりの解釈でも。

一言で言ってしまえば、SWAN SONGのあろえ的なポジションでしょうか。
あろえは、物語の最初ではまだ自分のしたい事を相手に伝える術を持ち、また、他人の話もある程度は聞いていました。しかし、物語が進むにつれ、コミュニケーションブックを失くし、他人への意思伝達能力が著しく欠けてしまう。物語は場面が進むにつれ、人々の疑心暗鬼が加速し争いあうようになり、物語の進行と同時に、彼女はその世界の写し鏡のような姿になっていく、つまりあろえは物語の象徴としてあの作品にいたのでしょう。
最後にはキレイで無意味で人の心を打つ様な物を作る辺りまで、このSWAN SONGというタイトルの象徴で在り続けます。
ちなみにSWAN SONGとは、ドイツの諺?で白鳥は死の瞬間に綺麗な鳴き声をあげると言う伝説から来たようで。本当は白鳥の死ぬ瞬間には綺麗な鳴き声を上げる事ないし、死ぬ瞬間に綺麗な鳴き声を上げたからってどうなの?とこの作品のメインヒロインは言うのですけれど、司はそれが誇りに思える事なのだと伝えようとする。二人の言葉は当然すれ違ったまま終わりますがね。
互いの意思とその意思を伝える事の不一致さを抽出、具現化したのがあろえだったのではないかなーとか。


で、その婦警さんも同じようなもの。
彼女は自身の警官と言う立場から、犯罪者の学や理沙に

「あなた、こんな犯罪者の誘惑に従っちゃ駄目よ! 正しい心と、社会道徳に従って、健全な行動を、素早く行うのよっ!」
「この世で一番大事なのは正義と秩序が作り出す平穏と平等で・・・」

などと言う一般道徳を説き、自身が学に情報を聞き出されようと言う時も、自分は公僕だ、と主張しています。
そして、学は婦警さんに言う事を聞かそうとして痛めつけるための陵辱を行いますが、婦警さんも最初は嫌がりますが行為が進むにつれ淫乱の顔が出て、陵辱行為が普通のエンジョイセックスになります。
己は公僕で規律正しい存在だという事を言いながら、その内面はまったく違うもの。
CARNIVALと言う作品は、他人のことなんてどうやったって分からないもので、その原因として人は仮面をつけて生きているから、と言う事を言っているのだと。
この婦警さんのように公僕と言う仮面をつけた極端な例を挙げて、言い換えれば象徴として、この作品に登場したのではないかなぁと。
でも、そう考えると、婦警さんの登場した意味がわからない、と言うのもある意味正しいのか。だって彼女はいきなり淫乱になってすぐ退場して、彼女自身のことが訳わからなかったわけですし。他人のことなんて分からない、というテーマに沿っている・・・のか?(登場した意味が分からない、と言うことへの回答にはなっていない気がするw


「でも、だからって、わからないじゃないか。他人は、どうせ他人なんだよ?」


ちなみにあの婦警さん、小説版ではサオリに性具を買うことを進るという八面六臂の大活躍で、私としてはさり気に好きなキャラクターです。

で、あの婦警さんの名前ってなんでしたっけ?


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