鼠の騙し討ち

太刀打できますん

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私は砂漠の真ん中でなぜか断頭台にかけられており、その目前には老紳士がしゃがみ込んでいる。

パリッとしていたであろう老人のスーツは汗で泥のように汚れており、片手で帽子を押さえ、もう片方の手でギロチンの刃から延びる紐を持っており、片手で刃を支えることが出来るなんてすごいな、と思っている私はいかにも囚人のような格好をしており、上半身は裸で下はいかにも襤褸切れみたいなズボンで、足には枷も着けられ身動きが取れない。

私の目の前の老人は鼻息が当たるほど近くに顔を近づけ、効率の良いカタツムリの育て方とその食べ方を熱弁しているのを私は嫌が負うにも聞かなくてはならない。

砂漠と言うこともあり、老人は玉のような汗をかき続けながら目をひん剥いて私に語りかけてくるのですけれど、それはエスカルゴのことですか? という私の質問はひりついた喉から声になることは適わず、カタツムリの養殖法について自分の体験談を交えながら話は続いている。

いよいよその話も佳境に差し掛かり私も興味心身で聞いていたところで、ごく自然に老人はギロチンの刃から伸びる紐、文字通り私の生命線を手放される。
私の首が落とされて、ドンッ、という刃が木材に当たる音と共に私の首は砂の上に転がり、ちょうど首は老人と首の無い私の体へ目が向くようになっていた。

人間は首を落とされても脳に酸素が残っているわずか数秒は意識があるようで、私も砂の上から老人を見ていたのですけれど、老人は先ほどと変わることなく首の無い私の体に向かって話し続けている。
熱弁家だな、と思います。だから砂漠で話しをしたのでしょう。合点がいきました。

そんな事を考えていると目が覚めたのですけれど、とても不愉快です。
暖房は切れているのに汗だくだし、首はムズムズするし、心臓はバクバク言っています。
自分が殺されたり首を落とされる夢は結構見てきましたけれど、いくらなんでも新年早々これは無いんじゃないかな。
これが初夢だなんて、なんか理不尽だなって。

でも初夢って言うのは1月1日が終わってから見る夢のことを指すみたいで、こんなのが初夢でなくて良かったと思います。
でも、夢なんて最近見ていなかったのに、ひどいな。
夢を見ていないんじゃなくて覚えてないだけだよ、と言われたのですけれど、それは客観的事実であり、主観に基づけば見ていない事と等しいんじゃないかなって反論する元気もありません。ちょっとへこみました。憶えていたくないほど、ひどい夢を見続けたのでしょうね。

それはそうと、あけましておめでとうございます。

昨日はやることも無く暇だったので、安酒を飲みながらトリックスターをやっていました。
多分年越しトリスタをやる人が多いだろうな、と思ったのですけれど入ってみればギルメンは二人しか居らず、余計寂しい思いをしなくてはなりませんでした。
けれども午前0時が近づくにつれ人も多くなり、雑談しているうちに新年を迎えましたね。

朝起きてからも酒を飲み、おせちをつつき、雑煮を食べ、昼寝をし、遥かに仰ぎ、麗しのをしていました。
親戚の家にも行ってきたのですけれど、近くにある湊川神社へ初詣には行きませんでしたよ。人ごみは嫌い。

そんなこんなで元旦は終わろうとしていますが、日付が変わる程度でなにを騒がなくてはならないのでしょう。
なんてことを思うわけも無く、祝祭日と言うものには昔から何かしらの意味が込められており、占いと言う統計学にも影響を与えるような数奇な運命の巡り会わせが起こったりするので、それはとても大人しくしていられなくても無理の無いことです。
とくに何もありませんでしたけれどね。

じゃ、ことよろ。

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あきねずみ

Author:あきねずみ

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