鼠の騙し討ち

太刀打できますん

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「遥かに仰ぎ、麗しの」 梓乃編終了、ひいては本校編、もとい健速ルート終了なのでそっちの総括と併せて梓乃編の感想でも。
前回書いたこととは別のことにも触れようと思うので、感想に主体性が無くなるかも。
いつものことですけれどねw


滝沢司は風祭みやびとリーダと言う二人の少女を救おうと奔走する。
そして救われた二人は救われただけでは終わらず、自分たちは誰を救えばいいのかと問いかける。
その答えは三嶋鏡花の事件のときに司が言った、この学院にいる人全てを救うということ。
今はまだ力が伴わないけれど、この三人は全ての人を救いたいという 「理想」 を持つ。

殿子は自分というものが確立されているからこそ、強固な自分は誰をも頼らず、一人で何でもこなそうとする。
そこには自分で把握できることしかなく、出来ないことに挑戦することも無い。
だが、彼女は自分らしさの思い違いを起こしていた。
司によって示された、失敗すると分かっていても挑戦すること。失敗して当然ということ。何度でも成功するまで繰り返すこと。
自分らしさというものは、持っているだけではなく、示し続けなくてはならないということ。
そうやって自分らしさという 「理想」 を背負って、失敗するという 「現実」 を生きることを殿子編では書いたように思います。

そして最後の梓乃編。
他人と共にある、と言うこと。

理想を背負って現実を生きる自分を示したところで、他人を蔑ろには出来ない。
それは、たった一人で孤島に暮らしているわけではないから。
自分には他人が付きまとい、望むようには生きられない。

自分の殻に閉じこもった梓乃。そこから助けたいと思った殿子。偶然とは言え近づいていく司。
その中で梓乃は人の輪の中へ飛び込み、司は梓乃と中を深めるが、家族のつながりを持つ梓乃から離れようとする。けれど梓乃は司の手を取った。対人恐怖症の彼女が。
人がこうありたいと思った姿は、形を変えるのかもしれない。それは様々な意味で。

二人の関係は、互いが居て初めて成り立っている。
自分が相手の現実を守らなくてはいけないということ。自分の理想が相手に守られているということ。その逆も同じ。

自分らしく在るには、他者が居てはならない。望むようには生きられないから。
けれど、自分らしく在る、と言うものに他者のことも含まれていたのなら。

それは、きっと……

こなたよりかなたまで―――――完 (マテ

まあ結局のところこの健速というライターさんが書きたいのは、こなかなだよなぁ、ということで。


どこかのレビューサイトで見た“金正日もパンツを脱いで平伏すほどの主人公マンセーっぷり”はまあ、しょうがありません。
司攻略ゲーですからw


健速ルートも終わり、さ~てお次はこの作品の本題である分校編へ。
あくまで健速さんはサブシナリオライターという位置づけですからね。

<12月28日追記>
梓乃編に行くまでに滝沢司は、みやびと殿子の二人を選択肢によって見捨てているんですよね。
だから梓乃編の司はどこか甘いことを言う。
対人恐怖症の梓乃だったら、自分に近づき過ぎないから彼女にしても問題は無いと。
しかしそんなものを本気で恋をした梓乃が許すはずが無く、司を無理やりにでも捕まえる。
なんかリーダさんとポジションが似ているなぁw



<雑記>
テックジャイアン買ってこようかなぁ。まさか打越鋼太郎さんののインタビューがあったとは。
それにしてもこの方、ファミ痛の時と言い雑誌との相性は相変わらず最悪のようですねw


<追記>
そういえば、今日はクリスマスでしたね。
道理で誰も連絡してこないはずだ。忙しいんですね色々とw
それではみなさん、メリークリスマス。

あと、
コーヒーください。

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