鼠の騙し討ち

太刀打できますん

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 愚痴も三日目になった。そろそろ飽きてきたぞ。いったいこんな日記書いてどうなるというんだい。そもそも今時分ブログとかやっている人ってそんなにいるのかい。情弱なのでそのあたり、みながどのようなインターネッツ活動に勤しんでいるのかわとんとわからぬ侍でござそうろう。
 今日は人生の先輩から今度飲みに行こうと誘われ、「あー」とか言ってたら周りの人達からも「よっしゃ行こう。な!」と囲い込まれ、精神虚弱体質の僕は断るに断りきれず了承ともとれる愛想笑いをするばかりだった。
 けっこうカッチリお堅い人のようで遊び好きなところがあり、日頃から気を使ってもらっているという引け目もあり、ありのありありでなし崩れて項垂れて。まあたまにはいいかなという感じで、お昼にからあげ弁当をたべながら人の好意に応えられぬ人間なのだろうかなどと思っていた。これで三日連続のからあげ弁当だ。健康診断では体重は平均なのだけれど、内臓周りの脂肪が多いと数年前から言われているのでなんとかしなきゃなあとか言いながら明日もまた、からあげ弁当なのだろう。職場の周りにもっとマシな飯屋があればなあ。からあげ弁当しかまともに食べるようなものがないのが悪い。この社会が悪いのだ。
 健康のためにも少し運動もしなければならない。残業で心が死んでいたけれど、帰りの電車が変に遅れてひと駅くらいなら歩いてもいいかなと思うだけ思って普通に遅れた電車をまって駅に着いてみれば土砂降りの雨だった。天気予報なんて見ていなかったので傘なんて持っていなくて、でも駐輪場までなら走っても大丈夫だろうと言うことで息を切らして大雨の中を駆け抜け、駐輪場についたときにタオルで頭と服を拭いて雨合羽を着込んで原付に乗り駐輪場を出たとたん、ものすっごい小雨になっていた。
 今週こんなことばかりだ。神様、僕が何をしたって言うんだい。
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 寒い寒い、なんて寒いんだろう。風も強くて冬も本番といったところだ。しかし、どんどん冬の始まりが遅くなっているなぁと感じる。温暖化。
 そして、ここよりさらに寒いロシアでは、会話をするとき天気の話題を出すとマヌケだと思われるから「今日は本当に冷えますねえ」なんて言わないそうだ。僕はもう、今日一日で何回その話題を出したことか。そうして、会話に花を咲かせることもなくお互いダンマリした気まずい時間がやってきてしまう。よくある。話題を思いついて話そうとしても、タイミングを逸してしまい、今これしゃべっても大丈夫だろうか、ちゃんとコミュニケーション取れるだろうかと悩んでいるうちに、「じゃあ」と相成ってしまう。よくある。
 積極的にコミュニケーションを取りたいと、それが例え誰であれ、思っていないからそうなってしまうんだろう。
 それでも昔に比べたらだいぶマシになったと思う。おしゃべり好きな人に捕まったあと、早く解放されたいなあ、という態度を3分くらい我慢できるようになった。なんという進歩。
 会話のやり方を知らないだけなんだろう。この歳になって。気持ちの発散方法もよくわかっていなかったと思う。やっぱり他人に向かって喋るということで自分の区切りをつけるのがいいのだ、と最近ようやく実感として得られるようになってきた。この歳になって。
 鬱屈とした思いも、都合のいいことばかりを並べて自分だけが気持ちよくなる区切りをつけることによって初めて落ち着くのだ。なので、1年と数ヶ月ぶりにブログとか書いてみたが、はたして落ち着いただろうか。あんまりそんなことはないし、もやもやとしたものが頭の中にずうっと残っているようだ。見ている人とかそんないないブログで愚痴ったところでダメなんだろうか。だけれで人に面と向かって感情をぶつけるのは気が引けるし、そのとき出る言葉は僕の感情とは少し食い違ったものだろう。ここに書いてあることだってきっとそういうことだ。そんなことをお腹を空かせて帰り道で考えていた僕と、暖かい豚バラ大根を食べてお腹がいっぱいになって眠くなっている今の僕じゃあ、まったく別人みたいなものである。どうだざまあみろ寒いなか帰っているときの僕。あーご飯おいしかった。
 しかしながらこの満腹感も空腹あればこそ味わえるものであって、そしてまたお腹はすいてしまうのだ。なんてはかない豚バラ大根。
 物語の中でハッピーエンドがあるけれど、つまりエンド以外ハッピーじゃないバットな話が延々と続くわけ、でもないけど、大体が起承転結の山を上っている最中は苦しいものだ。苦しみの先に頂上についた景色はたしかに綺麗かも知れないし、それを予感・または覆す物語の吸引力で最後までお話を見れるのだろうけど、最近は歳のせいか、山登りをしているあいだにぐったりと疲れてなにもかも諦めてしまうようなことが多い。
 それは裏返せば生真面目に物語を読もうとしているからで、さらに自分の心が疲れてしまわないように、物語に対して紗に構えて眺めるようにもなつてしまつた。昔からそういったことがなかったというわけでもないけれど、感動というものから遠のいてる。穏やかで平坦で気持ちが安らぐようなものを口を開けて家畜のように喉に通す。なんというディストピア愛好者ってこれなんか中学生の日記みたいになってきた。まずい。これは恥ずかしい。こういった自分の自分の感情の吐露でさえ人に見られたとしたら笑われているんだと、自分で自分を辱めてしまう。
 よくない。楽しいことを考えよう。何があるだろうか。年末だ。クリスマスだ。プレゼントを買いに行かないと。今や僕だってサンタさんなのだから。

 夕方になってからは、ずっと強い雨が降っていた。ほどほどの残業をして、ヘトヘトになった体で電車に乗り込み地元の駅についた。ホームに立ってから視界の隅に入ったドラッグストアの看板をみて、マスクを買わなくてはいけないことを思い出す。
 インフルエンザが流行っているし、それでなくても周りに風邪の人が多いし、なにより顔が隠せるのがマスクのいいところなので、僕は毎日マスクをつけているのだが、今日付けた分が最後の一枚だったのだ。
 いつも買っているのは、ティッシュペーパーくらいの箱に入った60枚入りの使い捨てのマスクだ。それを買いに駅を出たのだが、雨足は途絶えることはなく、冷たい横殴りの風が吹いていた。箱に入ったマスクを買って外を歩けば、いくら傘をさしているとは言え濡れてしまいそうだ。数枚のビニールに封詰めされたマスクを買って、晴れた日にでもまた買いに来ればいいだろう、と思ったのだが僕の足は一目散に箱に入ったマスクのもとへ向かった。
 思考と意思が同じテーブルにはついていないようで、明らかにそうしたほうがいい、と頭で考えていても身体は別のことをやってしまうことが往々にしてあることにはホトホト困り果てている。面倒なだけか、疲れからの自暴自棄なのかなんなのか。
 ほかの人もよくあるだろうことだとは思う。「多少雨に濡れてもいいから、走って目的地まで行ってしまえ」みたいなもので、しかしその場合、雨に濡れてはいけないものを持って走るということはしないはずだ。
 対人関係にそれが表れてしまうと厄介なことになる。例えば、知っていることを聞かれたのに答えるのが億劫なのか時間がないからか、思わず「知らない」と答えてしまう場合、後から「あいつは嘘つきだ」と謗りを受けてしまう。
 人間というものは自分が楽のできる結果を求めてしまうから、そうしたことが起こってしまうのかなあ。雨のなか濡れてはいけないものを持って歩くのは、今の自分が楽をしたいだけであって、将来の自分が苦しむ結果にしかならないであろうことは明白なのだけれど。なかなかどうして、自分自身というやつは思い通りにはいかないものなのだ。
 そうして箱に入ったマスクを掴んでレジに並んでいると、目の前で会計をしている人も僕とまったく同じマスクを買っていた。この人も僕と同じように雨の中とぼとぼ歩いて外へと向かうのだなと思ったところで、こんな大げさに考える必要ないじゃないかと気がついた。だってちゃんと商品をビニール袋に入れてくれるじゃないか。当たり前の話だ。スーパーとかでは、こちらからビニール袋くださいと言わなければ、そのまま商品をカゴに放り込んで突き返してくる。後になってから「袋ください」と言いに行くと、「5円になります」と嘲りを押し殺したような張り付いた笑顔で、「今時のスーパーは有料なんだよ知らねーの?」とでも言いたげに袋を渡してくる。
 いつだって僕はチマチマしたことを大仰に捉えて、「ああ! なんて僕はかわいそうなんだ!!」劇場を広げてしまう。観客なんて誰ひとりいなくて舞台には僕一人と書割のスーパーの定員。
 会計を済ませてビニール袋の口をぎゅっとつまんでドラッグストアを後にした。駐輪場にいき、原動機付き自転車のキーを挿し、座席の下のボックスにカバンをつめてから気がついた。マスクの箱を入れるスペースが殆どない。今日は雨だ。カバンを背中にかけてバイクを走らせることはできない。
ビニールの袋の口をきつくしめてハンドルにでもかければいい。しょうがなく僕はカバンとマスクをボックスへぎゅうぎゅうに押し込み家に帰った。
 帰ってボックスを開けると、マスクの箱はクシャクシャに潰れてしまっていた。

あきねずみ

Author:あきねずみ

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